私たちの結婚-第5話
作家名:バロン椿
文字数:約2550文字(第5話)
管理番号:r701
大切なひと
出会い
18歳の時、高校を卒業した私は生まれ育った地方都市を離れ、東京の大学に進みました。
「東京は怖いところが多いから気を付けるんだよ」
初めて親元を離れて一人暮らしを始める私に、母親は心配でたまらないといった顔で、何度も同じことを繰り返していました。
しかし、私には、そんなことを何処吹く風、雑誌で調べておいた吉祥寺、渋谷、新宿など、歩き回りましたが、所詮、世間知らずです。
気の利いた部屋など簡単に借りれる筈がありません。
結局、大学で紹介された、通学には40分程かかりますが、静かな住宅街にある小さな3階建てのワンルームマンションで暮らすことになりました。
そして、今日はその挨拶回りです。
「こんにちは、このフロアーに越してきた飯田(いいだ)謙治(けんじ)です」とインターフォンを押しましたが、ドアを開けてくれる人はいい方で、殆どがインターフォン越しに「分かりました」と返事をくれるだけでした。
「皆さん、干渉されたくないようですよ」
不動産会社で聞かされたように、東京はこんなものかな、私はそう思うと同時に、逆に煩わしい近所付き合いをしなくて済むと、少しほっとしました。
4月、大学の授業が始まりましたが、私はなかなか友達が出来ませんでした。
「謙治は人見知りするのよね」
子供の頃から、よく母親に言われていましたが、こうして一人暮らしをしてみると、そのことがよく分かりました。
こちらから挨拶をすればいいものを、「挨拶したら、こっちも挨拶すればいい」と、どうしても一歩引いて待ってしまうのです。
「おはようございます」
朝のゴミ出しの時、私は思い切って声を出してみましたが、聞こえなかったのか分かりませんが、マンションの住人は忙しそうで、返事もしてくれませんでした。
「皆さん、立派な会社にお勤めのかたばかりですから」
改めて不動産会社の説明を思い出しました。
挨拶する時間もないんだ、私はそんなふうに考え、このマンションでは知り合いが出来なくても仕方がないと思いました。
ゴールデンウィークが終わった5月中旬、隣に新しい入居者が引っ越してきました。
前の入居者は私と入れ替えで出て行ったので、どんな人だったか分かりませんが、今度の人は明るくて愛想のいい女性でした。
「山下(やました)澄子(すみこ)、保険のおばちゃんなの。よろしくね」
自分で「おばちゃん」などと言っていましたが、30歳半ば、中肉中背、美人とは言えませんが、とても健康的な人で、クッキーを手渡された時、とてもいい匂いがしました。
これが彼女との出会いです。
エピソードその1
「飯田、合コンに付き合えよ。」
大学も2ケ月経てば、私のような者でも合コンに誘ってくれるものです。
同じクラスの有志で女子大と合コンをすることになり、私にも声が掛かりました。
「おい、決めようぜ。相手は可愛い子ばかりだ」
「俺は左端だな」
「バカ野郎、あれは俺だ」
「実力で勝負だ」
クラスメートはそんなことを言いながらも、合コンが始まれば、和気あいあい、気楽に女の子たちと楽しく過ごし、終われば、いつの間にか何組かはカップルが出来ていました。
「どうしたの、赤い顔をして?」
「あっ、山下さん」
合コンの帰り、電車を降りて駅を出たところで山下澄子さんに声を掛けられました。
「やめてよ、『山下さん』なんて。よそよそしくて。お隣さんでしょう、『澄子』でいいわよ」
澄子さんは少し酔っているようで、ご機嫌でした。
「澄子さんも今帰ってきたところ?」
「うん、お客さんとの飲み会よ。君は?」
「へへへ、合コン」
「ニヤニヤして、何が『合コン』よ。一人で帰って来るってことは振られた証拠。しっかりしなさいよ」
私は背中を思いっきり叩かれてしまいました。
「そんなことじゃ、先が思いやられる。まだ10時ね。ちょっと飲み直し、行くわよ」
こう言って、澄子さんは私を強引に連れて行きましたが、「ちょっと飲み直し」どころか、結局、カラオケまで。
マンションに帰ったのは深夜1時でした。
「いつまで寝てるの!」
翌朝午前7時、彼女から携帯電話で起こされました。
「私は会社、君は大学よ」
本当に元気な人です。
この日を境に、私は澄子さんと親しくなりました。
試験だと言えば、毎朝、携帯電話で起こしてくれる。
私は忙しい彼女に代わってゴミ出しをする等、東京での暮らしが楽しくなりました。
エピソードその2
「謙治は東京で寂しがっていないか?」
6月の終わり、私がどんな暮らしをしているのか心配になった母親が上京して来ました。
「お隣、どんな人?」
「いい人だよ。保険のセールスをしているんだって。自分で『保険のおばちゃん』って言ってるよ」
「女なの?」
そう聞き返した母親の顔は曇っていました。
「ちょっとご挨拶に行ってくる」
しかし、戻ってきた時には笑顔になっていました。
「ほんと、『保険のおばちゃん』ね。明るくていい人」
澄子さんには言えませんが、誰もが振り返るような美人だったら、こうはならなかったと思います。
「じゃあ、お母さん、帰るから。澄子さんによろしくね」
母親は安心して帰っていきました。
それからというもの、帰省する度、いや、仕送りの荷物を送ってくる時もそうでした。
「これは澄子さんに渡しなさい」と必ずお土産を持たされました。
「あらあら、こんなこと、しなくていいのに」
澄子さんはそう言っていましたが、「実は大好きなの」とても喜んでいました。
そのお返しでしょう。
週末になると、「謙治君、ご飯、食べにいらっしゃい」と、度々夕食に誘ってくれました。
本当にいい人です。
人見知り癖が抜けず、友達がなかなか出来なかった私が、東京で楽しく暮らせたのは、本当に彼女のお蔭です。
ただ、彼女は感情の起伏が激しいところがありました。
感情を爆発させると、もう手が付けられません。
私は「何やってんのよ、バカ!もういい加減にしてよ!」と携帯電話で怒鳴っているところに居合わせたことがあります。
聞いているだけでも、「キツいなあ」と感じましたから、言われた人はどんな風に受け止めたのか、推して知るべしです。
まあ、私などは害にもならない甥っ子ぐらいに考えていたからでしょう。
幸いはことに、そういうことを言われることはありませんでした。
ただ、一度だけですが、私の部屋に来て、何も喋らず、ただ大泣きして帰っていったことがありました。
(続く)
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