私たちの結婚-第4話
作家名:バロン椿
文字数:約4080文字(第4話)
管理番号:r701
布団に入った時、弥生がこんなことを唐突に聞いてきた。
「だって…」
弥生しかいなかったからだよ、それは言いたくても言えない。
だから、口から出た言葉は当たり障りのない、「いい出会いがなかったからさ」とつまらないものだった。
「そう、出合いねえ…」
弥生も分かっている。
「親の承諾も得ないで、娘に手を出して、何が『結婚させて下さい』よ。礼儀知らずも甚だしい。それに、お宅とは身分が違うでしょう!」
“出来ちゃった婚”を認めて欲しいと言う私に、弥生の母親から言われた言葉は、感情的なことが加わっていたとは言え、しこりが残っていた。
高校時代から付き合っていたので、私に甘さがあったことは反省しなければならないが、そうまで言わなくてもいいだろう。
そんな気持ちから、二度と弥生の両親には会わなかった。
弥生がお腹の子供を堕したことを人伝てに聞き、私は反省と自分なりの供養の気持ちから、特別に念珠を作って、左手首にはめていた。
「三回忌過ぎたから、お母さんのこと、もう許してくれない?」
「えっ?」
弥生はそれっきり何も言わず、激しく私を求めてきました。
「あなた、あなた…」
いつもは理性的で隙のない弥生でしたが、この日は全く別人のようだった。
「ねえ、ねえ、あなた…」
弥生はずっと心に溜めていたものを吐き出したのだろう。
私の心のしこりも解けていた。
「弥生、弥生、いいんだ、もういいんだよ」
私たちはようやく素直に向き合うことが出来た。
決心
「あれ、来てたのか?」
「うん、一緒にご飯、食べようと思ってね」
いつもは私が先に来て、一人で食事をすることが多かった。
弥生は午後11時を過ぎないと来ることができないこともあったが、この日は違っていた。
「美味しい。本当に美味しい」
「ははは、大袈裟だよ、弥生は」
「だって、いつもは一人で食べているのよ。二人で食べるご飯、とても美味しいのよ」
食事を終えると、私たちは一緒に風呂に入った。
「もうおばあちゃんよね。あんまりじろじろ見ないでよ」
「ははは、弥生はきれいだよ。でも、ちょっとお腹が出てきたかな?」
「本当?えっ、そんなに目立つかな?」
「まあ、気にすることはないよ。年相応ってとこだよ」
「ふふふ、分かるの?」
「何をニヤニヤしているんだよ」
「いいの、いいのよ」
弥生は下腹部のあたりを手で撫でながら、楽しそうに何かを口ずさんでいた。
「孝太郎さん、孝太郎さん…」
先に布団に入っていた私は弥生に起こされた。
化粧を整えた彼女が枕元にきちんと座っていた。
「ああ、ごめん、ごめん。うとうとしちゃった…」
微睡みからなかなか醒めぬ私だったが、「ちょっとお話ししたいことがあるの」と弥生が足を崩さずにいる。
これは大事な話があるなと感じた私は「うん、分かった」と布団から出ると、弥生と向き合って畳に正座した。
「あの、赤ちゃんが出来ました」
「えっ…」
「あなたの子供です」
「や、弥生…」
私は声が震え、言葉に詰まってしまったが、弥生は澄んだ目をしていた。
「もう誰にも邪魔させない」
「そ、そうだ。弥生、生んでくれ。頼む」
考えて発した言葉ではなく、咄嗟に出たものだが、これは私の本心だった。
もう、あんな悲しいことはしてはいけない、させてたまるか、そんな気持ちが言葉に表れたものだ。
「はい、孝太郎さん」
弥生に迷いはなかった。
「弥生、一緒に暮らすんだ。結婚するんだ」
「あの子とこの子と4人で暮らしましょう」
弥生が私の左手首の念珠を撫でてくれた。
「知っていたのか…」
弥生は小さく頷くと、胸の小さなネックレスを握りしめた。
「私も同じ。このネックレス、あの子なのよ。あなたに久し振りに会った時、気が付きました。私だけじゃなかったと思うと心の重しが半分になった気がして、出来れば、あなたともう一度やり直したいと考えるようになりました」
二人とも43歳。
涙を流すような年齢ではないが、互いに見つめあっていると、込み上げてくるものがある。
私たちは静かに抱き合った。
そして、弥生が公人であることを考え、事前に挨拶をしておくべきところがいろいろとあるので、結婚公表は1ケ月後とした。
夜
「吉田君、大変なのはこれからですよ」
「すみません、ご迷惑をお掛けします」
学校を出た私は、家には帰らず、尊敬する校長先生宅に身を寄せていた。
「騒ぎになった時、いろいろ言われると煩わしいので、教育委員会には知らせておきましょう。心配しなくていいですよ。後は私に任せて、吉田君は授業に専念しなさい」
学校内では極力普段通りに児童と接したかったので、校長先生のアドバイスに従い、学校内では誰にも知らせなかった。
そして、弥生が国会で記者会見することが決まると、「その時は私の家に隠れていなさい」と温かい言葉まで頂いた。
「副校長先生に叱られませんかね?」
「秘密を守る秘訣は、知っている人を少くすることです。尤も、今更、副校長に知らせておいたところで、あなたの評価が変わりますか?」
「いや、あの、校長先生、いじめないで下さいよ」
「ははは、ごめん、ごめん」
「教師は子供のために全力投球する」、それが私の信念で、学校行事以外には余り協力しないので、副校長には余り好かれていない。
校長先生はそれを茶化したのだ。
「あなた、吉田さん、記者会見が始まりますよ」
書斎にいた私たちに校長先生の奥様が知らせに来てくれた。
「吉田さん、私もあなた方の応援団ですよ」
背中をそっと押してくれる奥様が微笑みにはこれまでも何度も助けられた。
「おい、始まるぞ」
テレビ画面には「浅野議員、緊急記者会見」とテロップが流れている。
「ちょっと緊張しているかな」
多数の記者を前にして、弥生はいつもよりも表情が固い。
やはり委員会とは勝手が違うのかも知れない。
「突然のご案内にも関わらず、ご多用のところお集まり頂き、誠にありがとうございます。さて、私、浅野弥生ですが、先程、党本部におきまして、代表、幹事長に議員を辞すことをお話しさせて頂き、ご了承賜りましたので、この場にて、皆様にご報告させて頂きます」
あの浅野弥生が、今日の委員会でも舌鋒鋭く迫った浅野弥生が突然議員を辞職!
「えっ!ウソだろう?」
「理由を、理由を説明しろ!」
「議会を投げ出すのか!無責任だぞ!」
「発表することでもあるのかよ?」と殆どの記者たちがおっとりと構えていたので、記者会見場は大混乱になってしまった。
「ふふふ、皆さん、本当に知らなかったのね」
「いつも言っているだろう、秘密を守る秘訣は知らせないことだって」
奥様の疑問に校長先生が自慢気に答えていた。
「おい、カメラ、カメラ!」と慌ててセッティングを直し、改めて記者クラブの代表者から一問一答が始まった。
「浅野先生、辞職する理由を説明して下さい」
「結婚するんです」
「ま、待って下さい。あ、あなたは『鉄の女』、いや、失礼。不適切な言葉、お詫び申し上げます。」
予想もしない弥生の発言に代表者も慌てて、思わず、言ってはいけない言葉が口から出てしまった。
「いいんですよ。私のことを『男より政治』、『鉄の女』なんて、皆さんが言っているのは、以前から知ってますから。」
「いや、あの、誠にすみません。」
代表者が何度も頭を下げる様子を全国放送のカメラが捉えていた。
「そんなことよりも私の方こそ、国民の皆さん、選挙区の皆さんに謝らなければなりません。ご指摘の通り、公職にある身なのに、任期半ばでの辞職は本当に無責任です」
いつもは政府委員の言い逃れを「無責任だ!」と追及する弥生が、今日は自分を「無責任」と呼んでいる。
そして、「でも、許して下さい」と弥生が深々と頭を下げると、無数のカメラからフラッシュが焚かれ、会見場はやや騒然となった。
「お静かにお願いします」
司会者の声が会見場に響き、ようやく静まると、弥生が続けた。
「20年程前、私は将来を約束した男性がいました。しかし、その時は事情が許さず結婚を諦めざるを得ませんでした。その後、ご支援頂く方々に励まされ、ご指導頂き、政治活動を続けて参りました」
「私たちも浅野先生の政治姿勢に学ぶところが多々あります」
記者クラブ代表者が名誉挽回とばかりに合いの手を打ったが逆に仲間の記者たちの失笑を買ってしまった。
「心にもないことを言うな。お前は引っ込んでいろ」
みんなが弥生の次の言葉を待っている。
「議員になった当初は、亡き父が残してくれた路線に乗って活動して参りましたが、いろいろなお仕事に携わらせて頂きますと、迷いも生じ、自分で答えを出さなくてはいけないことが多くなりました。私は…」
弥生の目から涙が零れ、頬に一筋流れた。
再びカメラのフラッシュが激しく焚かれた。
「私は悩み、挫けそうになったり、投げ出したくなったこともありました。そんな時、何時も思い出した人がいました。その人は小学校の先生です。彼はいつも言っていました。『教師は子供のために全力投球するんだ』 と。私は彼のことを思い出し、悩んだ時、挫けそうになったり、投げ出したくなった時も頑張ってきました」
テレビカメラが弥生の顔をアップでとらえた。
真っ直ぐに前を向き直った。目は澄んでいる。
「今、その人の命が私のお腹に宿っています。20年掛かりました。私たちは20年掛けてようやく結婚にたどり着きました。お許し下さい。私は政治よりも、家庭を選びたいと思います」
そう言うと、弥生はその場に立ち上って、再び深々と頭を下げた。
会見場はフラッシュで目が明けられない。
どこで調べたのだろうか、私の携帯が鳴り始めた。
「ほらほら、もう来ましたよ。吉田さん、大変ですよ」と奥様は心配したが、校長先生は「そんな電話は放っておけばいい。それより、浅野さんがあんな立派なことを言ってくれたんだから、男冥利に尽きるな。ははは」と、ワイングラスを持ち上げながら、私の肩を叩いて励ましてくれた。
「はい」と私は慶びのグラスを空けたが、どこで探り当てたのか、インターフォンがピンポンと鳴り出した。
「いやあ、マスコミは凄いものですな。もうこうなったら、ワインを飲んで寝てしまうことですな、ははは」
校長先生もお手上げだ。
弥生、君は素晴らしい。
もう離さないよ。
(続く)
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