凄い熟女~他人には言えない体験-第3話
もう40年も前のことですが、私は凄い熟女に会いました。
周りの人たちから「お京はん」と呼ばれていた40代半ばの、色っぽい人で、19歳だった私をいろいろな意味で「大人」にしてくれた恩人です。
今も元気なら、80代後半。もう一度会いたい。今回はその人の思い出を語りましょう。
作家名:バロン椿
文字数:約3220文字(第3話)
管理番号:k135
もう一人の熟女、志乃
この日を境に、私はパチンコ屋の2階からここに転がり込み、同棲生活を始めました。
もともと布団を敷きっぱなしの部屋です。「ふぅぅー、疲れたあ」と店から帰ってくるお京はんに、「お帰り」と、私が蒸しタオルを差し出すのですが、それより先に私を布団の上へ押し倒し、唇を重ねてきますから、自然と始まってしまいます。
しかし、「あかん、そないんでぇは」と、おっぱいの触り方、揉み方から叱られました。「掴むんやない。触れとるか、どないか分からんくらいでぇええから。女は焦らさなくちゃあかん」と何度もやり直され、チンポを入れて出そうになると、「あかん、まだ、あかんよ」とお尻を抓られたり。とにかく徹底的に仕込まれました。
そんなことだから、年が明ける頃には、お京はんは「あ、あぁぁぁ、あ、あ、あっ、あ、あぁ、あぁぁぁ……」と泣き声のような甲高い声を出してしがみつき、「ああ、そこや、そこや、あぁ、ええ、ええ、あぁっ、ええ、ええわ……」と悶えて、体が捩れるが、わざとチンポを抜いてしまう。「女は焦らさなくちゃあかん」と教えてくれたことをしただけだが、「啓治、何してんねん?早う、早う、入れて」とすがりつき、それでも入れないと、「そんな意地悪するもんちゃう」と泣きついてくる。こんなことまでも思うようにできる程に逞しく成長していました。
そして、あれは蒸し蒸ししてきた頃だから、6月の初めだったと思います。
その頃、私はパチンコ屋を辞めた訳ではありませんが、何となくプラプラしていた時でした。
「おる?」と、「志乃(しの)ちゃん」と呼ばれる、お京はんと同じ年くらいの近所の八百屋のおばさんが裏口から入って来ました。
あいにく、お京はんは出掛けており、「出てます」と答えると、「ふふふ、そう、そら良かった」と言って、勝手に座敷に上がり込んできました。いつもそうなのですが、今日はお京はんがいません。ちょっと困って、「あ、いや」と言うと、「ええの、ええの、啓ちゃんに用事があるんやさかい」と四畳半のちゃぶ台の前にどかっと腰を下ろすと、「まあ、ここにお座り」と私を呼び寄せました。
彼女は度々来ては、「啓ちゃん、いい男やな。好きやで」なんて言って私を揶揄うから、何となく苦手でした。その志乃さんが「なあ、啓ちゃん、お京はんはどうしてあないにきれいなん?」と聞くのです。それで、「はあ、もとからきれいやさかい」と答えると、「アホ」と言われてしまいました。そして、「そんなん聞いてるんちゃう。なんか秘密があるんちゃうん?」と私の顔を覗き込むようにじっと見るのです。
様子がいつもと違います。ドギマギしていると、「あんたら、甥と伯母なんてウソやろう。夫婦かてことは分かってんねん」と絡んできたのです。
こんな時はごまかさず、「おばちゃん、よう知ってまんなぁ」と笑い飛ばしてしまえばいいのですが、19の私には、とてもそんな知恵はなく、「あ、いや……」と顔が赤くなってしまっているところに、「なんや、来とったん?」とお京はんが帰ってきました。すると、志乃さんは変わり身早く、「あははは、かんにんな。留守に上がり込んでもうて」と立ち上がると、「これ、田舎から送ってきた」と果物をお京はんに渡して、「ほな、またね」と、私に「黙っとくのやで」とでも言うような笑みを向け、逃げるように裏口から出ていきました。
「何があったん?」
やっぱりお京はんです。微妙な空気を感じ取り、私の目を捉えて離さないのです。
ここで誤魔化したり、ウソをついたら叱られます。正直に包み隠さず、志乃さんとのやり取りを打ち明けると、最初は「なんなんよ、あの女」と不愉快そうな顔をしていましたが、途中で、「ははは、そうか、そんなんを言うとったのか。ええやんけ、応えたろうやで」と笑い出しました。そして、「相手したったらええ」と言うのです。
私は何を言っているのか分からず、ポカンとしていると、「あん女の旦那は糖尿病で、もう5年もしてへんのやて」とビックリするようなことを教えてくれました。
「それで、我慢出来へんくなって、相手を探しとったけど、誰でもええって訳ちゃう。他人に見つかったら、『ええ年して、何してんねん』て言われてまう。そこで、啓治、あんたに目ぇ付けたってことやで」
「はあ」
「うちといい仲になってるさかい、お前に手ぇ出したって、うちも騒がれへん思てんねん」
「………」
「やったら、お●こ、やらしてあげようちゃう。なあ、啓治」
「四十後家は立たぬ」と言われるように、女性の性欲が30代~40代前半でピークを迎えることを知ったのは、遙か後になってから。
そんなことをしてもいいのか、私はオロオロしていましたが、とんでもないことを言い出したお京はんは「なんも、心配することはあれへん。うちがちゃんと話を付けたるさかい」と嬉しそうで、吉本にでも行くような感じでした。
嫌もクソもない。彼女の言い付けは絶対ですから、「はあ」としか言いようがありませんでした。
志乃さんとのまぐあい
それから二、三日後、お京はんが、「話は決まったから」と言いましたが、それ以上何も言わず、ただ焼いたニンニクをまるごと食べさせられました。翌日、布団に入ってごろごろしていると、店を早じまいしたのか、午後10時過ぎ、「ただいま」とお京はんが帰ってきました。そして、その後ろには「こんばんは」と志乃さんがいました。
いつものように銭湯に入ってきたのでしょう。お京はんはすっきりした顔をしていましたが、志乃さんは火照っているようで、顔が赤くなっていました。
ちゃぶ台の前に腰を下ろしたお京はんは「栄養剤買うてきたさかい」とうなぎの蒲焼きを広げましたが、私は志乃さんの顔をチラチラ見てばかり。そんな私にお京はんは「何をしとるん」と言ってきました。こうなりゃ、どうにでもなれと、私は浴衣の裾を捲ってちゃぶ台の前に座ると、それに齧り付きました。
しかし、志乃さんはびびったのか、先日のような図々しさはどこへやら、上がり端に立ったままでした。それで、「志乃ちゃん、あんたも遠慮することあれへん」とお京はんが敷いてあった座布団を叩くと、ようやくちゃぶ台に座りましたが、私とは全く視線を合わせません。
「うまいなあ」
「うん」
タレのたっぷりかかった大串です。私もお京はんもペロッとたいらげてしまいましたが、志乃さんは普段とは違い、それこそ「お上品」に一口、一口、箸でつまむ感じでした。お京はんは笑いましたが、何も言えない程に緊張していました。
こうなると、19の私も悪戯したくなるものです。「さあ、片付けようか」とお京はんが箸や器を持って立ち上がると、私と二人だけになりたくない志乃さんは、まだ食べかけなのに、「あ、はい」と釣られて立ち上がりましたが、私は咄嗟にその腕を掴んで引き寄せました。すると、「あっ」と志乃さんはよろけるように私の懐に転がり込んできました。
でも、これで彼女も踏ん切りがついたのです。私にしがみついてきた志乃さんはそのまま唇に吸い付き、私もギュッと抱き締め、互いに相手の体を抱きしめ合い口を重ね合いましたが、最初から舌と舌を絡み合わせるような濃厚なものでした。
その上、共に浴衣です。裾はめくれ、太腿なんか簡単に露わになるし、帯、紐も緩み、それを「要れへんやろ」とお京はんが引っ張るから、たちまち私たちは下着だけになりました。こうなれば、速いものです。志乃さんが私のパンツに手を伸ばし、私も志乃さんのパンティに指を引っかけ、互いに引き下ろすから、あっという間に二人とも素っ裸。
40半ばの熟れた志乃さんの体は、細身と見える外見とは違い、おっぱいもふっくらとした下腹も、肉付き良い骨盤の張った腰まわりも、どこをとってもすべてがゆるやかな曲線を描き、豊かで柔らかく、どうしようもなく興奮してきました。そんな私のいきりたったチンポを握った志乃さんは股間に顔を埋めて、口に含みました。
(続く)
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