語られぬ昭和史-第4話 4170文字 バロン椿

語られぬ昭和史-第4話

ほんの少し前だったのに、既に「昭和」は懐かしい響きになってきました。
以前、筆者は「歴史秘話―ある素封家の没落」というものを本サイトに発表しました。
今回は昭和に起きた3つの事件について、その裏側で起きていた男と女の話を交え、「語られぬ昭和史」として発表させて頂きたいと思います。

シンナー遊び(昭和44年(1969)~昭和51年(1976))

世の中はアポロ11号の月面着陸や、大阪万国博覧会に沸いていましたが、一方でフーテン族の発生など、従来の社会規範を大きく揺るがすことも起きていました。その中で、10代の若年層に深刻な影響を及ぼしたのが「シンナー遊び」です。
若い性を散らしたり、命を落としたり、悲しい出来事を描きました。
なお、これは、今も解決できない問題です。

作家名:バロン椿
文字数:約4170文字(第4話)
管理番号:k121

2.シンナー遊びーその裏側では

顔面喪失

昭和45年(1970年)3月15日、大阪千里で日本万国博覧会が開幕した。
「日比谷高校の東大合格者数が99人か。とうとう100人を割ってしまいましたね」
「やっぱり学校群の影響ですかね?」

この年は都立高校の学校群制度第一期生が卒業した年であり、新学期の教職員室の話題はもっぱらこのことだったが、生徒の方は万国博覧会のことだった。
「僕のうちでは夏休みに行くんだよ」
「春休みに行ってきたよ」
「えっ、もう行ったの?凄いなあ」

同年5月31日からはメキシコでサッカーワールドカップが開催される予定だったが、今とは違って、全く話題にもならなかったので、サッカー部でも、話題は万国博覧会だった。
特に4月中旬、3年生が修学旅行から帰ってくると練習前の会話は万国博覧会一色だった。
当時の東京都内の中学生は3泊4日の京都・奈良方面が定番、この年はそれに万国博覧会見学が組み込まれていた。

シースルーランジェリー一覧02

「お前たち、夏休みに万博に行くのか?」
1、2年生の後輩部員を前に3年生部員の木村がさっそく先輩風を吹かす。
「はい、アメリカ館で月の石を見たいです」
「ソ連館の方が凄いと聞いてます」
「松下館のタイムカプセルが見たいなあ」

大人向け雑誌だけではない。マンガ週刊紙も学習雑誌までもが、「日本万国博覧会特集」を組んでいたので、人気のあるパビリオンは誰もが知っていた。
だが、木村は「そうか、お前たち、知らねえんだな、へへへ」とニヤニヤ笑っていた。
「何ですか、先輩、他にいいのがあるんですか?」

後輩たちはバカにされた感じがして、頬を膨らませている者もいた。
「教えていいか、小山?」
「いいじゃないか、木村」
同じ3年生の小山もニヤニヤしていた。

「よし、教えてやるから、もっと近くに来いよ。」
1、2年生の後輩部員たちは何をもったいぶっているのかと思っていたが、先輩だから従わなくてはいけない。木村を取り囲んだ。
「ワコール・リッカーミシン館だよ」

当時はませた中学生でも「ワコール」が女性下着メーカーとは知らないから、「なんでミシン屋さんがいいんだよ」と思ったが次の話を聞いて、みんな、股間が硬くなってしまった。
「素っ裸の女がいっぱい出てくる映画を上映しているんだ」
「す、素っ裸……」

唾を飲み込む後輩部員たちに、「そうだよ、それも外人の素っ裸だ」とニヤつく木村。そこに遅れてきた2年生部員の田中が違う話題を持ってきた。
「あの、卒業した小高さんの顔が無くなったって知ってますか?」
「田中!ダメだ、その話は」

それまで裸の話をしてニヤついていた3年生の木村が田中を止めたが、もう一人の3年生部員の山下が、「何だよ、田中、話してみろよ」とせっついた。
「しょうがねえなあ。じゃあ、教えてやるけど、誰にも話すなよ」と3年生部員の木村が、その場にいた全員に釘を刺してから、「シンナーを吸ってて、そのままタバコに火を点けて、顔が火傷しちゃったんだ」と言った。

「それで、鼻も、口もただれて、誰だか分からないんだってよ。いいか、絶対に言うなよ」
木村は念押ししたが、そんな恐ろしいことを聞いて、他の人に喋る奴はいなかった。
ただ、小高に使いパシリをさせられていた2年生部員たちは、あの接着剤の使い道を初めて知り、驚いていた。

バージンキラー

昭和45年(1970年)、蒸し暑くなってきた6月中旬。
「おはようございます」、「かおりちゃん、行ってらっしゃい」と、今朝も、セーラー服が良く似合う山根(やまね)かおりはお隣の三咲の朝子おばさんに見送られ、区立中学校に向かう。

「本当に可愛いわね、かおりちゃんは」
朝子はかおりが小さい頃から、髪を三つ編みに編んであげたり、自分の娘のように接してきた。
「それに比べ、京子ちゃんは一体どうしたのかしら……」
同じく、自分の娘のように可愛いがっていた向かいの金子京子は、昨年高校に入ってからすっかり変わってしまい、「おはよう」と声をかけても、返事もしない。朝子はかおりが京子の影響を受けなければと気がかりだった。

だが、隣近所で年の近い二人。「かおり、今夜、うちにおいで」と京子に誘われれば、「はい」とかおりは従うのは、無理もない。
その夜、午後7時半過ぎ、「こんばんは」とかおりが訪ねていくと、何回か顔を見たことがある、京子のヤンキー仲間たちが来ていた。
「へえ、かおりちゃんか。可愛いなあ」
「俺なんかどうかな?」
「俺の方がいいよな?」

京子の両親は不在。それをいいことに、我が物顔に振る舞う彼らに、京子は「俊夫、義明、この子に手を出したらダメ」ときつい口調で釘を刺したが、そんなことで、「はい、そうですか」と収まる相手ではない。

「今度、映画を観に行こうよ」などと弄りが続き、怖くなったかおりは京子の方を見たが、目を逸らし、もう止めに入る気配はない。その時、「もう止めろよ。かおりちゃんが泣いちゃうぞ」と、「VAN」ブランドの銀色の櫛(当時、中高校生に大人気!)で髪を分けながら俊夫と義明の前に立ち塞がってくれた男がいた。

川崎光彦(かわさきみつひこ)だ。
俊夫は「何だ、光彦、格好付けやがって」と肩を突き飛ばしたが、「へへ、やるのか?」と逆に胸にドスンとパンチが入る。
優しい顔をしているが、空手を習っているから、喧嘩では敵わない。
「い、痛えなあ。じょ、冗談だよ」と退かざるを得ない。

しかし、怖くて泣きべそをかいていたかおりにとって、こうして救ってくれた光彦はまるで王子様。そんな「王子様」から、「かおりちゃん、こんなところに居ちゃダメだよ。送っていくから帰ろう」と言われたら、「はい」と素直についていくのが当然だ。
「じゃあな、京子」と光彦に肩を抱かれてかおりは帰っていったが、京子はホッとするどころか配になっていた。

義明もピンときて、「おい、京子。かおりちゃんはやられちゃうぞ」とニヤつく。
「まさか、中3よ」と京子は言ったものの、「分かんねえぞ、光彦は。高1の朱美とCまでいった(エッチした)と自慢していたからな」と俊夫は左手の親指と人指し指で輪っかを作り、右手の人差し指を抜き差しする。
女に手が早く、光彦が別名「バージンキラー」と言われているのはヤンキー仲間では有名。
彼らの頭には、裸にされたかおりに光彦が体を重ねていく姿が浮かんでいた。

セクシーランジェリーショップ01

速すぎる性と悲しい死

夏休みが終わり、第2学期が始まったが、3年生に3人、2年生にも2人、明らかに顔つきが変わった者が出てきた。
山根かおりは髪をバッサリ短くし、セーラー服の上着の丈は短く、スカートは足首まで隠れる長さ、典型的なスケバン・ファッションになっていた。
クラスメートが「お前、どうしたんだよ?」と尋ねると、「関係ないでしょう」と取り付く島もなく、下級生が目を合わせようものなら、「何をガンつけてんのよ!」と睨みつける姿は異様だった。

いったい何があったのか……
あの夜、「じゃあ、またね」と光彦はかおりを家に送り届けたが、翌日以降、「歩こうよ」と河原に誘い出しては、「かおりちゃんは本当に可愛い」などと甘い言葉を繰り返し、3日目には手を繋ぎ、期末テストが終わった夜、唇を奪う。

ファーストキスだが、かおりは中3。背伸びして大人になったが、一方では、とんでもないことをしてしまったと精神的に揺れて涙ぐむかおりを、光彦は「大好きだよ」と抱き締める。
後は一気呵成。会うごとにキスは激しさを増し、お尻を撫で、おっぱいを揉み、C(エッチ)に迫る。
そして、暑くて暑くて外出するのも嫌になる、8月中旬。

「こんちは」と光彦は溜まり場になっていた喫茶店にかおりを連れて行くと、マスターに目配せしてかおりと一緒に二階に上がる。
もう何をしようとしているか、かおりにも分かるが、光彦は「僕が嫌いなの?」と言って、抱き寄せ、唇を奪うと、そのまま用意してあった布団の上に倒れ込む。

「そんなことをしたら、お母さんに叱られる」とかおりは抗うが、光彦は止まらず、服を剥ぎ取られ、かおりの蕾は光彦のペニスに貫かれてしまった。
このことは、直ぐに京子の耳にも入る。心配して、「かおり、あれはダメよ」と言ったが、髪をバッサリ切ってきたかおりは、「何よ、バージンの癖に」と京子を見下し、「お姉ちゃん、焼いてるの?」と聞く耳を持たない。

この類の話は色々と尾ひれがついて広まるもの。佐藤たちにも「暴走族のバイクの後ろに乗って旗を持っている」、「シンナー遊びの常連」、「男とやりまくり」等と伝わってきた。

それでも、彼女は毎日学校に通ってきていたが、下校時、中学生でも高校生でもない変な男が迎えに来るようになり、「心配ですね」と先生たちが恐れていたことが起きてしまった。
12月、新宿の深夜喫茶にいるところを補導されたが、ろれつが回らず、いわゆる「ラリッた」状態だった。

翌年(昭和46年(1971年))1月、緊急保護者会が開かれ、「シンナー遊び」に手を出させないように、日頃から目を配ることが教職員、保護者間で申し合わされた。
山根かおりはお情けで佐藤たち同級生と一緒に中学を卒業したが、その2年後、光彦のバイクで電柱に激突して亡くなった、即死だった。17歳、あっけない人生だった。

もう一つの死

昭和52年(1977年)8月、佐藤は中学サッカー部の仲間たちと海水浴に出掛けようと、高速道路のサービスエリアに集まっていた。
「なんだ、お前たちか」
嫌な奴、マツダ・サバンナに乗った関谷が近寄ってきた。
髪は短く、剃り込みを入れている。

「タバコくれよ」
「ないよ」
「なんだと!」
「うるせえ!出ていけ、この野郎!」
佐藤は大学で少林寺拳法部に属していたので、今度こそ叩きのめしてやろうと、飲んでいた缶コーヒーを関谷に投げつけた。

「てめえ、やるのか?」
関谷は車から降りてきたが、手にはシンナー入りのビニール袋、足元は覚束ない。
「生意気だぞ!」と殴りかかってきたが、佐藤は軽くあしらい、顔を2、3発殴りつけた。
「痛っ、痛てな、この野郎……」

佐藤はよろける関谷に足を掛けると、道路に叩きつけた。
そして、「お前なんか、死んでしまえ!」と彼の車に投げ込むと、「さあ、行こうぜ!」と仲間と一緒に車でサービスエリアを出て行った。
翌日の朝刊には、「死のドライブ、シンナー吸いながら、高速道路で激突死」という関谷の死亡記事が載っていた。
なんとも後味の悪い死だった。

(続く)

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