語られぬ昭和史-第3話
ほんの少し前だったのに、既に「昭和」は懐かしい響きになってきました。
以前、筆者は「歴史秘話―ある素封家の没落」というものを本サイトに発表しました。
今回は昭和に起きた3つの事件について、その裏側で起きていた男と女の話を交え、「語られぬ昭和史」として発表させて頂きたいと思います。
シンナー遊び(昭和44年(1969)~昭和51年(1976))
世の中はアポロ11号の月面着陸や、大阪万国博覧会に沸いていましたが、一方でフーテン族の発生など、従来の社会規範を大きく揺るがすことも起きていました。その中で、10代の若年層に深刻な影響を及ぼしたのが「シンナー遊び」です。
若い性を散らしたり、命を落としたり、悲しい出来事を描きました。
なお、これは、今も解決できない問題です。
作家名:バロン椿
文字数:約3020文字(第3話)
管理番号:k121
2.シンナー遊びーその裏側では
校長先生の注意
昭和44年(1969年)7月17日(米国現地時間:7月16日)、月面着陸を目指すアポロ11号が打ち上げられた。そして、7月20日の日本各地の小・中学校の終業式では、校長先生が「明日(21日、米国現地時間: 20日).アポロ11号が月に着陸します」とお話されたところが多かったようです。
ところが、翌年の昭和45年(1970年)7月の中学校終業式では、大阪で日本万国博覧会が開催されているにも関わらず、そのような明るい話題はなく、「シンナー遊びをしてはいけない!」と強い調子で、校長先生をはじめとした先生方が注意事項を読み上げるところが少なくなかったようです。
小学校高学年から中学校にかけて、男の子なら誰でも一度は夢中になるプラモデル作り。その遊びに欠かせないのが、プラスチック用の接着剤です。
3畳あるいは4畳半など、当時の子供部屋でプラモデル作りをしていると、ぷーんと立ち込める良い香、「接着剤のいい香り」と言っていましたが、それがシンナーの香りでした。
「吸い過ぎると、気持ち悪くなるから、窓を開けなさい」
親から注意されるのは、その程度ですから、それがとても危険な物資であるという認識は当時の小・中学生にはありませんでした。
ですから、突然、「接着剤の匂いを嗅いではいけない」、「シンナーを吸ってはいけない」、「シンナー遊びは絶対にダメです!」と言われても、ピンと来なかったというのが実感でした。
ところが、夏休みに入り、テレビのワイドショーなどで、「シンナー遊びの実態」などと取り上げる頻度が多くなり、特に新宿駅周辺にたむろしていた「フーテン族」がシンナーを入れたビニール袋を持って、中の匂いを嗅いだり、足取りのおぼつかない様子が映し出されると、「とんでもなく危険なものなんだ」と怖さが分かってきました。
インターネット等で調べると、昭和42年(1967年)頃から、シンナー遊びが若者の間で流行し、翌43年(1968年)にはシンナー乱用によって補導された青少年は2万人余り、死者110人、昭和45年には補導された者の数が約5万人にもなったそうです。
夏休みを前にして、校長先生があれほど強く注意したのは、中学生にまで相当な広がりが出てきたということだったと思います。
アパートの一室で
昭和44年(1969年)7月、「おい、ここだ」と、中学3年の小高は、2学年上で、悪名高い不良高校に通う小野塚に連れられ、古い木造アパートの前にやって来た。
「プラ模型を作っているのと同じだから」
小野塚はトントントンと階段を登っていく。小高はちょっと怖い感じがしたが、小野塚が「そうだろう」と言えば、「違う」とは言えない間柄、「はい」と付き従うだけだ。
「こんちは」と小野塚がドアを開けると、「なんだ、小野塚か」と起き上がった男はタバコを咥え、手にはビニール袋があった。
小野塚の後ろから小高が中を覗きこむと、「誰だ、お前は」と睨まれたが、「俺の子分です」と小野塚が言うと、「ふん、そうか」と怠そうにタバコを吹かしただけで、座り込むと手にしたビニール袋を顔に当てていた。
「ドアを閉めろよ」と小野塚に急かされ、小高が中に入ると、タバコの煙で曇る部屋の中には、鼻につく接着剤の臭いが漂い、複数名の下着姿の男と女が袋を持ったまま転がっていた。
見たこともない異様な世界。いっぱしのヤンキー気取りの小高も、ビビるが、小野塚に「おい、吸ってみろよ」とビニール袋を渡されると、「嫌です」と言えず、怖々、顔を近づけ、吸い込むと、何だかハイになってしまった。そして、「いいだろう?」と小野塚の言葉に、返事をする代わりにもう一度吸い込んだ。
傍らでは、下着姿の男と女がじゃれ合い、キスを繰り返し、裸になると、何と、皆の見ている前でセックスを始めてしまった。
小高はビックリしたが、他の者たちはビニール袋に顔をあてがったまま、全く気にしていない様子。小野塚もビニール袋を被り、怠そうに横たわっている。
しかし、小高はそれどころではない。
「あっ、あ、あああ……」
喘ぐ女の股間には黒々とした陰毛が、覗き込むとあそこが見え、そこに出入りする男の指が濡れている。
顔がカーと熱くなり、胸はドキドキして、興奮で体も震え、シンナーなんか吸っていられない。
あ、まずい、まずい……慌ててズボンを下ろした小高は、パンツの中からペニスを掴むと、シコシコし始めたが、男がペニスを女のあそこに入れるのを見届ける前に果ててしまったのは言うまでもない。
「逝っちゃう、逝っちゃう、トシオ、逝っちゃうーーー」
「お、俺もだよ……うっ!うっ!うっ!……」
抱き合い、余韻を楽しむ二人の横では、「はあ、はあ、はあ……」と荒い息の小高が精液を放ったシンナー入り袋を手に横たわっていた。
パシり
「おーい、お前たち、ちょっと来いよ」
夏休みが明けた9月、サッカーの練習のため、河川敷のグラウンドにやって来た中学1年生のグループは中学3年生の番長、関谷から呼び止められた。
「関谷さんと小高さんだよ。行かないとまずいぞ」
「また何かやらされるぞ。いやだなあ」
相手は2人、こっちは10人だが、逆らうことなど絶対に出来ない。
1年生が恐る恐る近寄ると、「おい、これで液体の接着剤を買ってこい」と100円を渡された。
当時、液体の接着剤は1本50円だから、2本買える。1年生たちはどうしてそんなに接着剤が必要なのかは分からなかった。たが、番長の言いつけだから、サッカーの練習よりも、それを優先しなくてはいけない。
佐藤、田中、渡辺の3人がプラモデル店から接着剤を買ってくるまで、残った7人は言わば「人質」。関谷と小高から苛められる。
「おい、ちょっとボールを貸せ」
「は、はい」
小高は受け取ったボールを力一杯蹴飛ばす。
「おお、俺もレギュラーになれるかな」
小高は得意満面だが、ボールはどこに飛んで行くか分からない。中には大きな川に繋がる農業用水に落ちてしまうこともある。そんな時は早く取り上げないと、流されてしまうから、裸足になって農業用水に入らなくてはいけない。
それ以外にも、早くボールを持っていかないと殴られたりする。
運良く3年生のサッカー部員が来てくれれば、そこで苛めは終わるが、そうでないと、接着剤を買いに行った3人が戻ってくるまで、苛めは続く。
「す、すみません。買って来ました」
ようやく佐藤たち3人が戻ってきた。だが、この日は番長の関谷の機嫌が悪い。
「おい、ガムは買ってきたか?」
「あ、買ってません。接着剤を買えと言われたので……」
バチン、バチン!
佐藤はいきなり殴られた。
「言われなくたって、ガムくらい買って来るんだよ。もう1回行ってこい!」
お尻まで蹴飛ばされたが、勿論、チューイングガムのお金などはくれない。
近くの駄菓子屋に駆け込んで、チューイングガムを2個買ってきて、今日は解放された。
「みんなで飛び掛かれば、関谷と小高だってやっつけられるぞ」
殴られた佐藤は赤く腫れた頬を手で押さえながら、そう言ったが、関谷をよく知っている渡辺がそれを止めた。
「あの2人だけなら勝てるよ。でも、あいつら、小野塚さんの子分なんだよ」
3学年も離れた彼らにも小野塚は有名。
この間も駅で他校を相手に喧嘩をして、警察に補導されたと先輩から聞かされていた。
「それは、やばいよ」
結局、佐藤ら1年生のサッカー部員たちは、悔しいが、関谷と小高が中学校を卒業するまでは我慢して使いパシりを続けることにした。
(続く)
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