淫魔大戦-第4話
淫魔、それは、人にこの世では味わえない淫靡な快楽の極致を与えてその果てに命を取る妖怪である。淫魔が目覚めたとき、そしてそれを人類が知ったとき、壮絶な戦いが始まった。
作家名:キラ琥珀
文字数:約2060文字(第4話)
管理番号:k107
次の日の朝。
講堂に、円悌は現れなかった。
「ひょっとして……」
昨晩のうちに、古木から吉祥天を彫ってしまったのかもしれない、と皆は思った。
昨日の円悌の態度は、普段とはちがっていた……。
夜、憑かれたように彫ったとしたら……。
あの、隋の老僧のように……。
座主を先頭にして、一同は霊安堂へ向かった。
そして、皆、飛び上がって驚いた。
古木から裸体の女性が彫り出されていたのである。
胡坐で、両手を膝に置く、思惟の姿勢をしている。
だが、その姿勢は、男を誘っているとしか思えないのであった。
半睡の目からは妖しい光が出ているようである。
唇は、太めで婬艶な感じがする。
乳房は、かなり大きく、それが肉感を増していた。
木の年輪で、乳暈と乳首が艶めかしく表現されている。
そして、胡坐の間から、陰部がそのまま見えていた。
僧侶たちは、自分が男性であることを、知った。
最初に我に返ったのは、座主と円義であった。
二人は、皆を叱咤すると、霊安堂から追い出した。
そして、改めて霊安堂の中を見回し、壁に文字が書いてあるのを発見した。
円悌、伽羅を彫り、
木像入魂の玉を求め、
胡沙の崑崙へ行く
乞う、帰省まで、木像安置の事
このように、墨痕鮮やかに書いてあるのだ。
二人は、顔を見合わせた。
「円義、どう思うね?」
寺に起こる様々な問題を解決してきた座主ではあるが、今度の事は、どうしていいのか分からなかったのである。
「木像を燃やしましょう。何が吉祥天です。修行者を惑わす裸の女じゃありませんか」
「しかし、昨日の円悌の話は……」
「円悌の出自に遠慮しているのですか?」
「そうではないが……」
「円悌め、生意気なことを言いおって。そのあげくが、このいやらしい裸だ」
「ともかく、もう少し考える時間がほしい」
「分かりました。その間、霊安堂は立ち入り禁止にします。いいですね」
「もちろんだ」
その夜、座主は、一睡もせずに考え続けた。
他の僧侶たちも、満足に眠れなかった。
横になって目をつぶっても、脳裏に白い裸体といやらしい陰部が浮かび、眠れないのである。
朝――、講堂に円義の姿がなかった。
「まさか……」
皆は、霊安堂へ行った。
そして、信じたくはないが、そうに違いない、と思っていた事を発見した。
円義は、木像を抱くようにして死んでいたのだ。
木像から引き離して横たえると、円義の下半身は血にまみれていた。
男根が切り取られていたのである。
しかし、顔は愉悦に満ちていた。
「やはり、この古木は、淫魔のしわざ……」
一同は震え上がった。
————
そして、木像は燃やされたのであろうか。
そうではない。
木像は、そのままであった。
僧侶たちは?
裸体の魅力に抗う術はなかった。
一人ずつ、夜、霊安堂へ木像を抱きに行った。
そして、朝、愉悦のまま死んだ姿が発見されるのである。
僧侶たちは、死体を葬る度に、「私は、こうはならない」と思うのだ。
だが、目の前に白い裸体がちらつき、夜になると霊安堂へ向かうのである。
いつしか、このうわさが外へ漏れた。
そして、寺は婬肉寺と呼ばれるようになった。
僧侶は、一人一人と死んでいった。
次々と死んで、残った者が埋葬する……。
……埋葬した筈である。
では、最後の一人はどうなったのか……?
————
忍辱寺が婬肉寺と呼ばれるようになって、50年が経過した。
その間、寺は打ち捨てられていた。
淫魔に魅入られた寺に近寄る酔狂な者はいない。
建物は朽ち、地面は草木で覆われてしまった。
その崩れ落ちた山門に、一人の老僧が来た。
玉を求めに行った円悌が帰ってきたのだ。
円悌は、草を分けて、霊安堂へ行った。
霊安堂の中には、あの木像が、少しも古びず、50年前のままで、鎮座していた。
木像の前には、人骨があった。
これは、50年の風雨に晒されて、黒ずんでいる。
円悌は、壁を見た。
壁には、円悌が書いた書き置きがあり、その隣に、別な文章があった。
それは、座主の遺言であった。
座主は、僧侶の一人一人が死んだ日を記していた。
そして、最後に座主が残ったのである。
座主も、誘惑に負け、木像を抱いたのであった。
ただ、さすがに座主ではある。
誘惑に負けつつも、最後に遺言を書き残したのであった。
文章の最後は、「我、婬肉に負けるを恥ず」であった。
円悌はため息をついた。
「たかが50年、なぜ我慢できなかったのだ」
円悌は、鑿を取り出すと、木像の陰部に浅い切れ込みを入れた。
そして、はるか崑崙の山から持ち帰った玉を、そこに収めた。
木像全体が、一瞬、光り輝いた。
木像の肌は、これまでよりもいっそう、白く、艶やかになった。
「これでよい」
この後、円悌は、各地を放浪して、忍辱寺に吉祥天が存在する顛末を広めた。
「現世に吉祥天さまが降臨された。お参りするがよい」
だが、婬肉寺のうわさの方が、先に流れていた。
淫魔がいる奇怪な寺……。
誰一人として、忍辱寺に足を向ける者はいなかった。
そして、乱世が続き、寺は朽ち果てた。
白い裸体の木像がどうなったのか、誰も知らない。
円悌は蘇州の近くの漁村にある古寺で入寂した。
東の海の彼方を見て最後の言葉をつぶやいて目を閉じたのである。
「淫魔との戦いが始まる」
(続く)
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