現代春画考~仮面の競作-第3話
その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。
作家名:バロン椿
文字数:約2070文字(第3話)
管理番号:k086
頭の痛い問題―吉光の場合
鈴木画伯のマネージャー、岡田には「主な出版社にモデルを探させている」と言ったものの、吉光も頭を抱えていた。
頼めたのは大店の旦那のイメージの50歳後半のスケベな爺タイプ等で、高校生や小学生はとても頼めない。こんなことが大ぴらになれば、世間から大叩きになることは火を見るより明らか。だから、無理が利きそうな相手にモデルを出させるより他にない。
「はい、『主婦のお友だち』編集部の近藤ですが?」
「いやあ、元気ですか?吉光です」
「吉光さん?すみません、こちらからお伺いしなくてはいけないのに、お電話頂いて。本当にすみません」
「例のインタビューの件、了解です」
「えっ、ほ、本当ですか?」
「主婦のお友だち」は中堅雑誌ながら、質の高い記事と評価が高い。その編集長を務める近藤(こんどう)啓子(けいこ)から河合画伯への単独インタビューを申し込まれていた。
だが、1社の申し出を受けると、他の雑誌のインタビューも受けなくてはいけない。そうすると、河合画伯のアトリエに籠る時間を削らなくてはいけない。
そのため、吉光はどんなに権威のある者が、あるいは出版社がインタビューを申し込んできても断っていた。だから、近藤啓子にとって「了解」の返事はノーベル賞受賞者への単独インタビューにも値するものだった。
「あ、ありがとうございます」
電話越しにも彼女の弾む声から、その喜びの大きさが感じられた。
「ははは、それほど喜んで頂けると、こちらも嬉しいですよ」
「もう死んでもいい程です。吉光さん、お礼はどうしたらいいでしょう?ふふふ、何でも言って下さい」
吉光はニャッと笑った。
(よし、この言葉、ウソだとは言わせないぞ)
吉光は一呼吸置くと、「そうですか、『何でも言って下さい』ですか、近藤さん。実は、困っていることがあるんですが、お願いしてもいいですか?」と下手に出た。近藤啓子にすればそれは「言葉のあや」のつもりだったが、こう言われると、引っ込みがつかない。
「え、あ、ええ、ど、どうぞ、どうぞなんなりとお申し付け下さい」
「ははは、そうですか。それはありがたい。内緒ですが、先生はちょっとした気分転換で、洋画家の鈴木画伯と競作をするんですよ」
「えっ、鈴木画伯とですか? 引退したと聞きましたが?」
「まあ、それは洋画家としての鈴木画伯ですよ。今度は浮世絵なんかを描こうとしているんですよ」
「浮世絵ですか……」
近藤啓子はすーと息を飲みこんだ。いつもは「上から目線」なのに下手にでてきたことと、それに浮世絵とはあまりにも唐突、何か企んでいるに違いない。
「そこで、近藤さん、あなたに相談です」
「何でしょう?」
「ははは、先生は働いてくれる方には恩義に厚い人ですよ」
河合画伯を担当することになった時、先輩記者からこんなことを言われていた。
「啓子ちゃん、気を付けろよ。『先生は恩義に厚い人ですよ』とマネージャーの吉光に言われたら、それは絶対命令だ。要望通りにした人は大きなチャンスを貰えるが、そうしなかったら、出入り差し止めでは済まないことになるぞ」
電話越しではあるものの、啓子は危ない空気を感じ始めていた。だが、ここで引いては、大きなチャンスを逃してしまう。
「どんなことでしょうか?」
「なあに、近藤さん、簡単な話ですよ。浮世絵のモデルですよ。元気のいい男の子、いませんかね?」
「モデルクラブにでも頼まれたら如何ですか?」
「近藤さん、浮世絵もいろいろありますから、分かって下さいよ。モデルクラブの男の子ではダメなんですよ。日焼けした擦り傷だらけの、まあ、野球部とかラクビー部の高校生って感じかな、そう言う元気のいい男の子、この子が熟女と一緒に、ね、こういうことなんですよ」
(やはりそういうことか……)
受話器を握る啓子の手に汗が滲んできた。
「どうです、近藤さん?なんなら鈴木画伯への単独インタビューもセットしてあげてもいいですよ」
美味しい餌を垂らしてきたものだ。一か八か、やるしかないか……追い込まれた啓子は受話器をギュッと握り締めた。
「う、運動部じゃないけど、姉の子が高校生です。こんなのでもいいですか?」
「ほう、どんな男の子ですか?」
「おとなしい子です。勉強一筋です」
(まあ、想定とは違うが、これもいいだろう。ともかく、先生に会せてしまえ……)
餌に食いついた獲物を前に、吉光は啓子に気がつかれないように、すーと息を吸うと、「いやあ、やはり、近藤さんですね」と言葉のトーンを変えた。啓子にとっても吉光は〝獲物〟。これを離す訳にはいかない。
「そ、そうですか……お役に立てますか?」と不安気を装えば、「お役に立てるか、だって?ははは、百点満点ですよ」と笑い声が返ってきた。
(何が百点満点よ!)
啓子には電話の向こうの吉光が悪魔に思えてきた。
「近藤さん、先生は恩義に厚い方ですよ。言ったことは必ず守ります。安心して下さい。次のパーティー、その男の子を必ず連れて来て下さい。よろしく」
獲物は釣り上げたが、甥っ子を勝手にモデルにする、それが姉に知れたら……啓子の頭は、そちらのことで頭が一杯になっていた。
(続く)
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