現代春画考~仮面の競作-第18話 2460文字 バロン椿

現代春画考~仮面の競作-第18話

その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。

作家名:バロン椿
文字数:約2460文字(第18話)
管理番号:k086

巨匠はわがまま

鈴木画伯はマネージャーの岡田が提案したルネッサンス期を題材にすることに嫌な顔はしなかった。だが、「『ヴィーナス』はシモネッタ・ヴェスブッチがモデルだ」と発音に拘った。

「ビーナス」でも、「ヴィーナス」でも、どっちでもいいじゃないかと、岡田は思ったが、やはり真面目な画伯らしい。そんなことも気になるのかと岡田は思わずクスッと笑ってしまったが、画伯はそういうものも見逃さない。
「何だ? 何がおかしい?」
「いえ、何でもありません」

頭を掻いた岡田が前を向いて座り直すと、「シモネッタ・ヴェスブッチは16歳で結婚し、22歳で亡くなった……」と解説を続けたが、途中で「しかし、それじゃあ春画にならんだろう」と言って、今度は画伯が笑い出した。

確かに、海から生まれた女神のヴィーナスが、貝殻の上に立って、長い金髪で股間を隠しただけの姿で、成熟した大人の女性の裸体を曝すものだから、美しいだけで、嫌らしさは全くない。

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だが、うーんと唸った画伯は「待てよ」と言って、手元のパソコンを叩き、「おい、これと組み合わせたら面白いぞ」と、海女に2匹の蛸が絡み、キスしたり、クンニする様子を描いた、葛飾北斎の「蛸と海女」の絵を画面にアップした。

「この海女をヴィーナスのような金髪にするんだ」
全く仰天の発想だが、そうすると、「陰毛も金髪ですか?」とバカなことを聞いてしまった。
画伯は怒るどころか、呆れて「当たり前だ」と笑い出した。
映画の「北斎漫画」では女優の樋口可南子が海女を演じたが、金髪の外人女性が蛸との絡みを演じてくれるか……

「ですが、外人は蛸を『デビルフィッシュ』と呼んで、嫌ってますが」
「心配するな。絡むのは蛸ではなく、女、レズの世界にすればいいんだ。軟体動物のような黒髪の女が、金髪の女に絡む。どうだ、ぞくぞくしてこないか、あははは」

さすが、巨匠は引出しが沢山ある。だが、モデルはどうする?
「黒髪の方は新宿にその手の知り合いがいるから、それは私が受け持つ。岡田、お前には金髪の方を頼む」
画伯はそう言うと、「さあ、楽しくなってきたぞ」とアトリエから出ていったが、岡田は頭が痛くなっていた。

金髪の外人女性にヌードを頼むのは、モデルクラブを通せば難しくはない。だが、春画のモデルとなると、それは違う。
「どうするかな……」と岡田がスマホの電話帳をスクロールしている時、先日架かってきた河合画伯のマネージャー、吉光の電話のことを思い出した。
「河合画伯が菱川師宣の絵を取り出して、『若侍役の若い男を探してこい』と言うんですよ」

「若侍って、大年増の奥方とセックスする役ですか?」
「はあ、それも『15、6の男だ』なんて。注文がどんどんエスカレートしちゃって。ははは、参りました」
「15、6ですか……和夫君は?」
「あ、いや、大年増の奥方役があの小夜子さんのクラブのママなので、彼を相手に選んだら、大変なことになります」
「そうですか、それは出来ませんね。弱りましたね」

電話の向こうで、「ふぅー」とため息をつく音が聞こえる。
「モデルクラブで若い男を探そうと思うんですが、どうも頼み難くて。それで、この間のイラストレーターの谷山さんに頼めないかと思いまして」
もっともなことだ。日本画の巨匠、河合画伯の事務所がモデルとして15,6の男の子を集めているなんて噂がたっただけで、「何をやっているんだ?」とマスコミが騒ぎ出し、それが当局に伝わったら……

「分かりました。スケジュールを調整して連絡します」と答えると、「いやあ、助かりました」と吉光は感謝してくれたが、今の自分に置き換えると、彼の気持ちはよく分かる。
(吉光さん、私の方も金髪は谷山君に相談するよ。全く、巨匠っていうのは我が儘だよな……)
アトリエから事務室に向かう岡田は「ふぅー」と息を吐くと、「金髪、金髪……」と呟いていた。

ママの意地

一方、その頃、「ふふふ、こんな感じかしら」と独り笑いを浮かべている女性がいた。河合画伯の「処女の歩き方コンテスト」で、思わぬ観察眼と演技力を発揮した「クラブ 茜」のママ、桜井(さくらい)茜(あかね)だ。

彼女は若い頃、芸者をしていたので、踊り、長唄、常磐津などは一通りお稽古を積み、着物の着付けなどはお手の物。そんな訳で、今日も自宅マンションの客間で、和ダンスから色留袖、訪問着、小紋、それに紬、これらの色合いや柄の違うものをいくつか取り出しては、大きな姿見の前で帯との組み合わせを考えていた。

だが、最後に取り出した浴衣を羽織ると、「まさかね」と妖しい笑いを浮かべながら、浮世絵のように、胴長の体に帯をずり落ちそうに緩く巻き付け、思いきり衿を抜いて裾を引きずるように着込み、「小夜子ちゃんなんかに負けるものですか……」と、微妙に膝を崩して座ったり、顎を引きめに左へ微かに傾げたり、色々と柔らかな動作を繰り返していた。

小夜子が河合画伯の写生会に幾度も招かれ、そこでどんなポーズを取り、何をしたかは知らないが、肝心なことは、彼女は№1とはいえ、所詮、ホステスに過ぎず、自分が「クラブ 茜」のママだということだ。
ヌードだろうが、何だろうが負ける訳にはいかない。
時計を見ると午後2時を過ぎている。そろそろ美容室に出掛ける時間だが、もう一度姿見を見て、「私を誰だと思っているのよ」と燃え立っていた。

*****

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「おはよう」
「あ、ママ、おはようございます」
「ママ、おはようございます。これ、暮れに見立てて頂いたドレスです」
「よく似合うわよ」

午後5時、お店に着くと、若い女の子たちが次々に挨拶に来るが、小夜子の姿は見えない。
「小夜子ちゃんは?」
「はい、今日は西村さんと同伴出勤です」
「あらら、そうだったかしら」

バッグから取り出した手帳には「君江、山瀬様」とあるが「小夜子、西村様」とはない。まあ、それはいい。とにかく稼いでくれれば結構。
正月の売上が良ければ、今年1年も幸せ。
「さあさあ、今日もガンバってね」と皆にハッパを掛けた茜の頭からはモデルのことは消え、「クラブ 茜」のことだけになった。

(続く)

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