現代春画考~仮面の競作-第13話
その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。
作家名:バロン椿
文字数:約3330文字(第13話)
管理番号:k086
別荘でしっぽり
「どうしたんだよ、にやにやして」
「米さんのことで先生を見直しちゃった」
別荘に戻った吉光に待っていた多恵は日本晴れのような笑顔だった。
「ああ、そのことか」
吉光は素っ気ない返事をしたものの、嬉しくて、「風呂でも入るか?」と誘ったが、「そのことって、なによ。あなたには感動ってものがないの?」と多恵は不満だった。
ヤクザまがいの生活をしていた米蔵を知る多恵としたら、こんなに嬉しいことはないのに、「ああ、そのことか」は許せない返事だった。
「そんなに怒るなよ。俺も凄く嬉しいんだよ」
吉光は早くも裸になったが、「どうだか。調子を合わせたって、ダメよ。心が籠ってない」と背を向けた多恵はまだスカートも下ろしていない。
「へへへ、可愛い」と吉光が後ろから抱き締めると、「何が『可愛い』よ」と駄々っ子のように体を捩って、それを振り切ろうとする。
多恵は60歳を超えているが、こんな彼女が吉光は大好きだ。
「多恵ちゃん、へへへ」とスカートを捲り、パンティーの中に手を入れると、いつもは抗わぬ多恵だが、「イヤよ。こんなところで」と、その手を撥ね退けた。
しかし、こういう拗ねた多恵の扱いも慣れたもの。
「分かった、分かったよ」と多恵を離した吉光は彼女の脱いだブラウスをたたみながら、「うちの先生は、本当にいい人、人情家だよ」と言ったが、機嫌を損ねた多恵は「そうかしら」と素っ気ない。
全く、しょうがねえな……そう思ったが、それを顔に出してはいけない。
「ははは、分かっている癖に意地が悪いな、多恵ちゃんは」と再びギュッと抱き締めると、「知らない」とそっぽを向くが、今度は抗わない。もう機嫌は直ったようなもの。
多恵もスカートを脱いで、それを「はい」と吉光に手渡すと、ブラジャーとパンティーを洗濯機に投げ込んだ。
別荘には河合画伯も米蔵も帰ってこない。裸になった二人は誰にも憚れることなく手を繋いで浴室に入った。
「今日は本当に感動してしまって、実は、多恵に『いいよね』って言われたって、もう抜け殻なんだよ」
先にシャワーを浴びた吉光は湯船に入り、続いて多恵が「うまいこと言ったって、騙されないわよ」と言いながら、シャワーを浴びると、「ちょっと」と湯船の縁を跨いで、吉光の隣りに滑り込んできた。
「だけどさ、こうして多恵と風呂に入ると、また思い出しちゃってさ、へへへ」
「え、何?あらら、あははは」
湯の中ではムクムクと大きくなったペニスが多恵に照準を合わせている。
「ねえ、正直だろう?俺って」
「ああ、なんて男なのよ」
「いいじゃないか、米さんも美恵子さんと、今頃は、へへ、へへへ」
「変なことを想像して」
「ははは、いいじゃないか」
「もう、しょうがないんだから」
布団まで待てない吉光に多恵が重なり湯船からザブン、ザブンと湯が溢れ出した。
秋の夜長、しっぽりと過ごすには、これ以上の季節は無い。
代役相談
「あ、吉光さん?はい、岡田です」
鈴木画伯のマネージャー、岡田は河合画伯の吉光マネージャーに電話を架けた。
「どうかしましたか、岡田さん?」
「いえ、どうってこともないのですが、次はどうするかなと思いまして」
「やはりあなたもそうですか。私も相談しようと思ってたんですよ」
電話越しではあるが、二人は互いに頷いていた。
「芸術家なんですね、お二人とも」
「そうなんですよ、米蔵さんと美恵子さんの振る舞いを見て、『いいなあ、美しい』なんてため息ばかり。遊びで始めたことですが、頭の中には『エロ』なんてこれっぽっちも無くて、有るのは『美』だけなんですね」
「我々のような凡人とは違いますから、ははは」
「全くです。あははは」
岡田はお茶を一口啜った。
「代役を立てませんか?」
「代役?」
「ええ、代役です。先生たちお二人には見ているだけ。違う者に絵を描かせるんですよ」
「しかし、先生のお弟子さんには、このことは内緒だから」
「吉光さん、画家じゃない者を代役にするんですよ」
「そんな人、いますか?」
「ええ、いますよ。ぴったりなのがいるんです。画家志望だったイラストレーター」
「へえ、イラストレーターですか。そいつは面白いですね」
「こいつ、女を描かせたら最高にいい絵を描くんですよ」
「面白そうですね。でも先生の了解は大丈夫ですか?」
「先生は『お前の好きにしろ』って言ってました。後は河合先生だけです。吉光さん、頼みますよ」
「はい、分かりました。早速、確認してみます」
「それじゃあ、いい返事を期待しています」
電話を終えた吉光はタバコを咥えた。
(イラストレーターか……そうだ、こっちには彼がいる!)
吉光はタバコに火もつけずに灰皿に投げ込むと、机から小さな美術展のパンフレットを取り出し、河合画伯のいるアトリエに向かった。
景山幸一
「なんだ、鈴木の代役がイラストレーターだって?」
「はい、そうです。なかなかいいアイデアだと思いますが」
吉光が岡田とのやり取りを報告すると、河合画伯は絵筆を置いてディレクターチェアに腰掛けた。
「まあ、それはいいが。それで、私にそのイラストレーターと一緒に描けと言うのか?」
言葉には出さないが、「そんな訳の分からん奴と俺を並べるのか?」と明らかに不満顔だった。
「その件でご相談ですが、景山さんに加わって頂くのはどうでしょう?」
「景山?あの景山幸一か?」
画伯がコーヒーカップを落としそうになった。
景山(かげやま)幸一(こういち)、河合画伯にとっては忘れられない名前だ。同じ美大の日本画専攻、4年後輩になるが、伸び伸びとした画風で、周囲からの期待も大きかった。大学院生だった画伯は一緒に写生旅行をしたり、何かと目に掛け、大変可愛がっていた。だが、好事魔多しの言葉通り、彼が特待生として大学院に進んだ時、よくない筋から頼まれていた売り絵のアルバイトを教授に知られ、追放されてしまった。
当時、画伯は大学院を卒業し、新進気鋭の画家として売り出し中だった。だが、その教授の一番弟子であったので、やはり教授の目を気にして何もしてあげられなかった。
「はい、先生もよくご存知の景山幸一さんです」
「元気なのか?」
画伯から仏頂面が消えていた。
「これをご覧下さい」
吉光は端の方が皺になっている美術展のパンフレットをテーブルの上に広げた。
「景山さんですよ」
写真に写る男は髪の毛は薄くはなっていたが、確かに若い頃の面影は残っていた。そして、経歴欄には次のように記されていた。
景山幸一
xx年xx月 茨城県水戸市で生まれる
xx年03月 xx美術大学 日本画専攻卒業
xx年xx月より、(株)○○アートで襖図柄のデザイン・企画を担当
社業の傍ら、各地の自然風景をモチーフにした屛風絵・壁画などの創作に励んでいる。
「絵を捨てていなかったのか……だけど、どうして景山のことを知ってるんだ?」
「へへへ、私はマネージャーですよ」
「つまらんことを言うな」
「先生に送られてくる美術展の招待状、私が代理で行かせて頂いていますが」
「分かってる」
画伯は少しイライラしていた。
「その美術展もそうです。受付で先生の名刺を出していた時、『河合画伯のマネージャーさんですか?』って、景山さんから声を掛けられたんです」
「あいつから声を掛けてきたのか?」
「ええ、先生には随分とお世話になったとおっしゃってました」
吉光は景山幸一から聞いた美大時代のことや、その後の出来事を話し、画伯はそれを黙って聞いていた。
「今でも時々電話があります。でも、最後には必ず、『河合さんに迷惑が掛かってはいけないから、このことは内緒にしてください』とおっしゃるんです」
「そうか。うん、分かった」
画伯は吉光を手で制すると、コーヒーカップを持って立ち上がった。
11月、紅葉がきれいな窓の外を眺めながら、「私が守って上げるべきだった」と独り言を言っていた。
「先生」
「直ぐに景山を呼びなさい」
振り向いた画伯の目には涙が浮かんでいた。
「は、はい。よろしいんですか?」
「かまわん。呼びなさい。教授も亡くなったから、あのことを咎める奴はもういない。彼も頑張っているんだ。私もあいつに会いたい。うん、呼びなさい」
その時、吉光は、かつて自分が犯した模写の横流し事件を画伯が「仕事で取り返せ」とだけ言って、不問にしてくれた理由が分かったような気がした。
(続く)
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