現代春画考~仮面の競作-第14話
その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。
作家名:バロン椿
文字数:約2580文字(第14話)
管理番号:k086
娘はとっくに知っていた
「ねえ、いいだろう?」
「え、何よ、ダメ、離して」
「へへ、いいじゃないか……ほら、ね、もうこんなになってんのさ、硬いだろう?」
午後8時、仕事から帰った吉光は多恵を後ろから抱き締めた。
先日は多恵が「先生は人情家」といたく感心していたが、今日は吉光だ。家に入るともう一直線に多恵に抱きついた。
「もう、何をやってんのよ!お母さんもおじさんも」
「あ、由紀子ちゃん。あ、いや、違うんだ」
多恵の娘、由紀子が来ていた。吉光は慌てて腕を離したが、多恵を抱きすくめたところをばっちり見られてしまった。
「違うも何もないでしょう。隠したって無駄ですよ。おじさんとお母さんが〝夫婦〟だってことは、私が小学生の時から知ってるんだから」
「ゆ、由紀子、これは違うのよ」
多恵も慌ててごまかそうとするが、由紀子はあきれた顔で言い返した。
「私が10年もしていないのに、お母さんは60過ぎても現役の女なんて、ああ、うらやましい」
そして、今度は吉光の方を見ると、一方的にまくし立てた。
「おじさん、そんなにお母さんがいいの?まさか、童貞はお母さんが卒業させてくれたなんて?」
「由紀子ちゃん、勘弁してくれよ」
「ふふ、赤くなっちゃって、図星か。まあ、いいわよ。でも、娘の前では我慢してよ。これでも独身女性、しばらく〝処女〟なのよ」
吉光も多恵もズバリ言われて返す言葉がなかった。
「あらら、邪魔よね、私たちって。さあ、帰るわよ」
顔を赤くしている二人に由紀子は皮肉っぽく言うと、息子の健太郎を連れて帰っていった。
「由紀ちゃん、知ってたんだ」
吉光はバツの悪そうな顔をしていたが、母である多恵は開き直っていた。
「女の勘でしょう。ま、いいわよ。これで隠すことが無くなったんだから」
「え、大胆なことを言うな」
「何を言ってんのよ。家の中に誰がいるのかも確かめないで、後ろから抱きついてくるから、こんなことになったんでしょう」
「ははは、そうか、俺が悪いんだ」
「そうよ、全くバカなんだから」
そう言いあっても、二人は喧嘩している訳ではない。着ていた物はもう脱いでしまっていた。
「こんなに元気になっちゃって、何があったのよ?」
「感動しちゃったんだよ、先生の人情に厚いところに」
「教えてよ……あっ、いや、ちゃんと話してからよ……あっ……」
「いいよ、そんなことは。それより……あっ、そっちを掴むなよ」
言葉よりもセックス。二人はベッドで互いの体をまさぐり始めていた。
再会
「吉光さん、私なんか、ここに出入りしても大丈夫ですかね?」
「何も心配いりません。既に先生は画壇の主要な方々にお話され、ご了解を頂いていますから」
「そうですが……」
単に挨拶に伺うだけだが、マスコミに面白おかしく書かれてしまったら、河合画伯に迷惑を掛けてしまう。景山幸一は不安だったが、彼を乗せた吉光の車は画伯の別荘に入っていった。
「さあ、どうぞ」
「はい」
恐る恐る車から降りた景山を多恵が出迎えてくれた。
「先生、お待ちかねですよ。さあ、こちらへ」
多恵が案内したのは、なんと浴室、河合画伯自慢の檜風呂だった。
「おお、来たか」
「お久し振りです」
「堅苦しい挨拶抜きだ。入ってこいよ」
どんなに詫びても、守れなかったのは事実であり、過ぎ去ってしまった時間は取り戻せない。ならば、全くの裸の付き合いから始めよう、河合画伯はそう考え、文字通り、素っ裸で景山幸一を迎えようと考えていたのだ。
「はあ、それでは」
3、4人は一緒に入れる特注の檜の湯船。互いに顔を見合っていたが、風呂はやはり気持ちをゆったりとさせる。
「頭が薄くなったなあ」
「河合さんだって、同じようなものですよ」
「ははは、そうか」
「そうですよ。お互いに年を取ったということですね」
そこに多恵がもう一人のお客を案内してきた。
「こちらかな?」
「大田さん、遠いところ、わざわざいらして頂き、どうもすみません」
「いやいや河合さん。この檜風呂、一度入りたいと思ってたんですよ」
画伯が招いていた、もう一人のお客は、美大OBでもっとも実力のある、日本画壇のドン、大田(おおた)弼(たすく)だった。
「お、大田先生」
「久し振りだな、景山君。元気か?」
「あ、あの」
景山は驚いて反射的に湯船の中で立ち上がっていた。
「それじゃあ、私も風呂にはいるか」
大田弼も裸になって、湯船に入ってきた。
「ははは、びっくりさせてすまん。君のことを大田さんに報告したら、ぜひ、俺にも会わせろとおっしゃって頂いたので、サプライズで内緒にしてたんだ」
「景山君、すまなかったな。我々を許してくれないか。虫のいいことだが、あの時、君を守ろうとしなかった、我々を許してくれないか?」
「あ、いえ、私は」
教授に対するわだかまりは決して消えないが、あのことは、元々の原因が自分の考えが至らなかったことにあると、自分に言い聞かせて、そして生きてきた。
景山自身、絵に対する情熱は一時も消えたことはなかった。だから、関係者には迷惑を掛けないように、ローカルな美術展には出展するが、中央の目立つものには近づかないようにしてきた。
今日、ここに来たのも、見返りを求めてきたのではない。お世話になった人に自分が絵を描き続けていたことを伝えたいと思っていたからである。
それだけなのに、大御所、日本画壇のドン、大田弼にこうして頭を下げられると、もうつまらぬことにこだわる自分が恥かしくなっていた。
「ははは、景山、泣くな、笑え」
「泣いてなんかいませんよ。汗ですよ、汗。全く、昔と変わらず、意地悪ですね、河合さんは」
「そうだ、河合君は昔から意地悪だ。ははは」
途切れた関係を取り戻すには、文字通り裸の付き合いから始めるのが一番、そう考えた河合画伯のアプローチは成功した。
風呂から出ると、吉光も加わり、宴会が始まった。
「景山君、君の絵が公平に評価されるよう、私が責任を持って関係者に働き掛ける、だが、実力が無ければ、何も変わらないぞ」
大田弼は後見人になることを約束した。
「どうだ、リハビリと言っては失礼だが、ここに通って来ないか。洋画の鈴木も遊びにくるぞ」
「えっ、芳太郎さんも来るんですか?」
「そうだ、芳太郎だ」
大学時代、景山は河合画伯の紹介で鈴木画伯にも可愛がられていた。
「よし、決まった。景山君は河合君のところで、再出発だ」
「よろしくお願いします」
こうして景山の中央画壇への復帰が決まった。
(続く)
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