現代春画考~仮面の競作-第11話
その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。
作家名:バロン椿
文字数:約2950文字(第11話)
管理番号:k086
傷が取り持つ縁
9月下旬、暑さもようやく和らぎ、木々も元気を取り戻していた。
「米さんと親しくやってるそうじゃないか」
「いえ、そんな」
8月の終わり、植木職人としてやって来た山田米蔵は真面目な働きぶりと気風のよさから、たちまち屋敷の人気者になっていた。
なにしろ植木の手入れだけじゃなく、大きな荷物が届くと、「俺に任せな」と飛んで来ては運んでくれる。それに食事も「こんな旨いものは初めてだ」と喜んでくれる。女たちが「米さん、お茶ですよ」と声を掛けるのも自然なこと、例の浅井美恵子もその一人だった。
そんな折、偶にも二人を親密にさせる出来事があった。
「痛っ……」
包丁で指先を切ってしまった美恵子はギュッと傷口を押さえていたが、血がだらだらと流れ落ち、ジンジンする痛みに気を失いそうになった。
「おい、どうした?」
「あ、米さん……指を、あっ、痛っ……」
それを見た米蔵は腰の手ぬぐいをビッーと切り裂くと、「大変じゃないか。ほれ、ちょっと手を貸せ」と、それで指先をギュッと巻いて応急止血をした。そして、「俺に掴まれ」と美恵子を抱き上げ、そのまま病院に駆け込んだ。
「米さん、私、私……」
「バカ野郎、泣くんじゃねえ」
幸い、傷は深いものではなかったが、大事なのは心だ。美恵子は米蔵に惚れてしまった。
その夜、美恵子が米蔵に抱かれたのは言うまでもない。
心ばかりの料理でもてなした美恵子は米蔵に抱き寄せられた。
「あ、いや……」ともがく彼女に、「好きだ」と柄に似合わぬ言葉を使った。勿論、美恵子に断る理由は無いが、背中の紋々だけが気がかりだった。
「遊びじゃいやよ」と念を押すと、「俺がそんな男に見えるか?」と見つめた米蔵の顔にウソはない。
「好きよ、好きよ、米さん」と体を開いた美恵子は米蔵のペニスを受け入れ、夜明けまで女として狂った。
それから3日後、「いい奴じゃないか。僕も彼が気に入ってるんだ。美恵子さんが親しくしてくれると嬉しいよ」と鈴木画伯が声を掛けた時、美恵子は「親しくだなんて」とエプロンの裾を摘まんで顔を赤らめていた。その美恵子の仕草に、彼は全て理解した。
(ははは、そういうことなら話は速いとこまとめてしまおう)
さすが、「脱がし屋の鈴木さん」、瞬時、二人の関係を見抜いた鈴木画伯は、「米さんにもお願いしたいことがあるんだが、美恵子さんにも協力して欲しいんだ」と笑顔で話を切り出した。
先日のことがあり、「どんなことでしょう?」と美恵子は襟元を押さえたが、「あははは、いやいや、米さんの了解を得ていないから、勘弁してね。じゃあ、僕はこれで」と、鈴木画伯は含みを残して、アトリエに戻っていった。
顔見世
「刺青は江戸時代に浮世絵の技法を取り入れて発展したんだ。それで、やくざだけでなく、火消し、鳶、飛脚なんか、これをしていないと男じゃねえ!って感じかな。まあ、『文化』みたいなもんだな」
「やはり、日本画の巨匠だなあ、お前は」
「つまらぬ褒め方はよせ、ははは」
上京した河合画伯は鈴木画伯の屋敷に泊まっていた。
「俺は海外のスポーツ中継が好きで、野球もバスケもよく見るんだが、まあ、凄いよな。太い腕にいろんな図柄を彫って堂々と見せている」
「ありゃ、ひどいよな。遠山の金さんは最後の最後まで見せないが、タトーって奴は最初から見せてる。どうも好かんよ」
「可愛い顔をした女の子も足首や臍の周りに彫って、それを見せている。『ファッションよ』って感覚なんだろうな」
「世の中、変わったよ」
グラスのビールが無くなったところに、家政婦の浅井美恵子がお銚子と肴を運んできた。
河合画伯は「おい、彼女か?」と鈴木画伯に目配せした。即座に「そうだ。さすがお前だな」と返した。
河合画伯は美恵子の配膳する姿を見ていたが、胸、足首、そしてお尻の膨らみ、どれを取ってもモデルにはなれないが、まさに古来の日本人的体型だ。
了解!と頷いた河合画伯に、鈴木画伯はにんまり笑うと、美恵子に声を掛けた。
「美恵子さん、河合だよ」
「あ、あの、あ、浅井です」
「いやあ、こんばんは。よろしく」
お銚子を持つ美恵子の手が震えていた。
「脱がし屋の鈴木さん」におだてられ、ヌードモデルを引き受けたが、今回のことはそれとは全く次元の違う話だ。
昨晩、米蔵に説得されてはいたが、その話は出来れば断って欲しかった。
あなたが守ってくれるなら
前夜のこと、米蔵を夕食に誘ったが、お酒ばかり飲んで、料理にはなかなか箸を付けなかった。
「美恵ちゃん、俺と一緒に絵のモデルになってくれないか?」
「えっ、米さんも頼まれたの?」
「お前もか?」
「あ、いや、私は以前に頼まれたことがあったのよ」
いくら画家の前でも人前で裸になったとは言えない。美恵子は慌てて誤魔化したが、それよりも米蔵の顔色がさえなかった。
しかし、彼は義理と人情の世界に生きてきた男だ。多恵を裏切ることはできない。
「ちょっと変なことなんだけど、俺と……その……抱き合っているところを絵に描きたいって言われたんだ」と酒をグイッと飲み干した。
裸くらいはと覚悟していたのに、まさか、そんなことまで…「だ、抱き合ってる……」と美恵子はうろたえたが、「あ、いや、その……はっきり言えば、やってるところだ」と米蔵は吐きだし、「すまねえ」と頭を下げると、もう一杯、酒をグイッとあおった。
「絵描きの前で、素っ裸でやるんだ。それを絵に描くんだってよ。すまねえ。もう返事をしてしまったんだ」
「な、なんてことを引き受けてきたのよ!」
「うるせえ!俺を地獄から救ってくれた人に頼まれたんだよ。断れねえんだ」
「ちゃんと説明してよ」
「俺には細かい理屈はいらねえんだ。恩返しなんだ。いやなら、いい。無理にとは言わん。だが、俺とこれからも一緒に暮らしてくれるのなら、分かってくれ。これが俺の生き方だ」
無茶苦茶な言い方だが、米蔵は残っていた酒を飲み干すと、腕を組んで目を閉じたまま動かなかった。
バツ一の四十女、これを逃したら、次にチャンスが回ってくるか、分からない。言わば「最後通牒」を突き付けられた美恵子には選択肢はなかった。
「米さん、あなたが守ってくれると約束してくれるなら、私はどこまでもついて行きます」と米蔵の胸に抱き付いた。
明日は頑張らんとな!
お猪口を手にした日本画の巨匠、河合画伯はニコッと笑っているが、その視線は美恵子の体をしっかりと観察していた。
しかし、女性は敏感だ。「あ、あの、お台所が忙しいもので」と美恵子はお酌もそこそこに逃げるように下がっていった。
「おいおい、ダメじゃないか、河合。お前の目付き、怖いぞ」
「え、そうかなあ。俺はお前が自慢している女だから、じっくりと見ていただけだぞ」
「お前の目付きは仕事柄、普通の人より鋭いんだ。服の上から体の線まで見抜いてしまう、そんな目で見つめられたら、逃げ出すのは当たり前だ」
「仕事柄か、まあ、そう言われたら、すまん、としか言いようがないな」
「ははは、で、どうだ?」
「いいねえ。いや、いいよ。典型的な日本の女だ。モデルクラブには絶対にいない」
「明日が楽しみだな」
「おお、明日は頑張らんとな。飲み過ぎはダメだな。早めに切り上げか、ははは」
「お、気合が入ってきたな」
「お前こそ!」
「お互い様だ。ははは」
言葉通り、今宵の宴は間もなくお開きとなった。
(続く)
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