ビッグさん-第2話
冴えない埼玉の主婦が新宿のアクアリウムレストランで開かれたシークレットパーティーに参加する物語
作家名:ステファニー
文字数:約2710文字(第2話)
管理番号:k084
友だちも同様だった。常に仲良しはいるけれど、親友と呼べるには至らない。仲間はずれに遭うでもなく、イジメに遭うでもないが、だからといって誰かと深い仲になるでもない。私は誰にとっても当たり障りのない、悪く言えば記憶に残らない、そんな子だった。
陽の当たらぬ私に転機が起きたのは大学2年の時だ。20歳になりたての私はやっとお酒が飲めるようになったことが嬉しくて、ゼミ仲間と居酒屋に初めて繰り出した日のことだ。
まだ酒に慣れていない私は、周囲に流されるまま飲酒をしてしまい、すぐに酔いつぶれた。見兼ねて介抱してくれたのは、学内有数のイケメンで、かつ北関東一帯にファミレスを展開している実業家の御曹司だった。
「大丈夫?僕が送ろうか?」
当時、まだ未成年だった彼は酒を口にしていなかったため、車で私を送ると提案した。私はお金持ちでハンサムな彼から心配されたことに舞い上がってしまい、二つ返事で受け入れた。
しかし、彼は性に関しては未成年ではなかった。私を乗せた彼の車は当たり前のようにラブホテルに入り、そこで私は処女を喪失した。以後、飲み会で同様の状況になった際、数回、彼と私は寝た。でも関係はそれ以上、深まらなかった。
そもそも冴えない私に『マーガレット』の漫画みたいな幸運が舞い降りるわけもない。私はすっかり彼とお付き合いしているものとばかり思っていたが、彼はそうではないと気がついていなかった。
卒業間近になって、私は彼がゼミ内のほぼ全員に手を出していたと知った。どうやら何人から処女を奪えるか、一人でゲームをしていたらしい。私は見事、その餌食となっていたに過ぎなかったのだ。
未成年だから、車で来ているから、とコンプライアンスをしっかり遵守している彼は、それだけ抜け目なく狡猾なのだ。そんな彼の本性を凡人の私は見抜けなかった。そもそも酔っていた私にしか声を掛けず、それ以外ではさっぱり特別扱いを受けていなかった時点で、彼は私など眼中にないと悟れなかった点も私のミスであろう。
彼は学内で一番美人だった同級生と、卒業後少しして結婚した。彼女と私は比較的仲が良かったため、結婚式に招待された。私は断わる勇気もなく、参列した。
それからというもの、異性関係とはすっかり程遠くなり、私は家と職場の往復を何年も繰り返した。前述したように、私は家族との関係も良好ではなく、かといって交友範囲も広いわけでもない。職場も官公庁のため、必要以上に人間関係を築くことはしない。どこにいても私は孤独だった。
これではいけない、どうにかしなくては、と思いたったのは、30歳の誕生日を迎える頃だ。私は貯めていた預金口座から費用を下ろし、結婚相談所に入会した。
だが、前向きで明るい仲人の話とは裏腹に、現実は厳しかった。いくら見合いを申し込んでも、相手からいい返事は来なかった。やっとのことでお会いできても、交際まで辿りつけなかった。
一体、何回の「ご縁がありませんでした」をいただいただろうか………。
諦めかけた頃、業界内で言う、いわゆる真剣交際にまで初めて進めた。それが今の私の夫である。
相手は同じ埼玉県民で、公立小学校の教員をしている私より七つ年上の人だった。子どもが大好きで、授業に部活に委員会に行事に、と日々の業務に追われるうち、婚期をすっかり逃していた、と語っていた。
私は、太めで背が低く、頭頂部が一部キラリと光る、この男に魅力は微塵も感じなかったが、仕方がない。不細工までいかなくとも、お世辞にも美しいと言われた経験がないような女には、この男がせいぜいなのだろうと、早々に自覚し、なんとか成婚に至れるよう、頑張った。夫も交際期間中はひどく私に気をつかっていたから、同じ思いだったのだろう。
見合いから一年後、私は結婚した。その時、私は35歳になっていた。
夫の父親はすでに他界しており、母親は高度認知症のため施設入所をしており、一人いるきょうだいは遠方で仕事をしているため付き合いがない、とのことで、人を招いての結婚式は行わなかった。とうに友人との縁が切れており、家族との関係も切りたかった私には、それは好都合だった。
新居は夫の両親が所有していた岩槻市内のマンションだ。このまま我々の終の棲家にしてよいらしい。築年数が古く、また夫婦だけで暮らすには広すぎたが、家賃を払わずに済むのならこの上ない。以来、私はそこから電車とバスを乗り継ぎ、柏まで出勤している。
夫は世間でもよく言われているように、かなりハードな労働を強いられており、早朝に出勤し、深夜に帰宅する。いずれも電車がない時間帯のため、マイカー通勤だ。また公立学校自体、足が悪い所にあるため、それ以外の選択肢がない、とも話している。なんとも大変そうだ。
二人で完全にゆっくり過ごせる時期は、年末年始ぐらいなものだ。私はテレビでスポーツ観戦をすることが趣味だ。結婚してからは誰にも気兼ねなく、好きな番組を見られるようになったため、正月は夫婦で様々な競技を観戦することが私たちの恒例となっている。私は元日の実業団駅伝に始まり、箱根駅伝や高校サッカー、高校ラグビーに春高バレーと、一日中堪能する。夫は毎年、一緒に見始めるのだが、必ず観戦中に船を漕ぎ出す。私は最初の数年はそれが不愉快だったが、今は慣れてしまった。
そんな夫であるから、当然、夜の営みなど上手いはずがない。
結婚相談所を介しているため、私たちは婚前交渉をしていない。持ってしまうと成婚とみなされ、成婚料を支払って、強制退会させられるためだ。だから夫婦になるまで、体の相性を確かめられなかった。これは夫婦生活を送る上でかなりの痛手となった。
夫は、まず性欲が薄い。入籍して、私が新居に入っても手を出してこなかった。ひと月後に新婚旅行で訪れたグアムのホテルでやっと、いいかな、と訊いてきた。
私は拒否の姿勢を見せた憶えはないが、夫は行為を始めると、「ごめん、ごめん」と、口癖のように呟いていた。さらには、私が服を脱いでも、夫は愛撫するでもなく、ただただひたすら私の股を開き、膣口付近をつついているのみだった。暗がりで挿入すべき穴を見つけられなかったようだ。夫に女性経験がないと私が認識するまでにそう時間を要さなかった。一晩中、ふうふうと息巻く夫の荒息が耳についた。私も久しぶりのセックスだったせいか、下腹部に痛みしか感じず、不快だった。
その翌朝、夫はシーツに血の染みがついていなかったことに失望していた。どうやらてっきり私が処女であると思い込んでいたらしい。
それを境に、私たち夫婦にわずかな溝が生まれたことは言うまでもない。帰国してすぐに、お互いの風邪を理由に寝室を分け、以後ずっとそのままだ。
(続く)
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