ビッグさん-第1話 2820文字 ステファニー

ビッグさん-第1話

冴えない埼玉の主婦が新宿のアクアリウムレストランで開かれたシークレットパーティーに参加する物語

作家名:ステファニー
文字数:約2820文字(第1話)
管理番号:k084

セックスが気持ちいいなんて、思わなかった。
あの日、あの瞬間までは…。

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新宿駅東口。アルタ前を通り過ぎ、丸井と伊勢丹に挟まれた商業ビル街を行く。しばらく振りにこの界隈を歩く私は、外国人観光客の多さに面食らいながら、なんとかお目当ての店を探した。
新宿三丁目の交差点を右折し、三つ目ぐらいにそこはあった。最近、経営破綻した外資系アパレルメーカーが日本で旗艦店を構えていた所のちょうど向かいだった。

大通りに面しているだけあって、裏通りのそれらとは比べ物にならないほど小綺麗でモダンな造りの雑居ビルだ。一階には輸入家具販売店が、上階には高級中華レストランが入っている。私の目的地は地下にある、水槽レストラン「アクア」だ。
店へはエレベーターが通じておらず、螺旋状の細い階段で下るしかない。バリアフリーとは程遠く、健康に問題のない若年層をターゲットとした店であると一見してわかる。

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私は薄暗い階下へ、慣れないヒールに気をつけながら、歩を進めた。
こんなに洒落た店を訪れるのはいつぶりだろうか。大学時代の同級生に呼ばれた結婚式の二次会以来かもしれない。だとすると15年も前だ。
地下一階の入口には、これまた瀟洒な、見ようによっては毒々しい、店のエントランスがあった。私が住んでいる埼玉の片田舎では絶対に見ないデザインだ。

蔦のような金縁に囲まれた重厚な黒い扉を開けて、私は店内に入る。壁一面に拡がった水槽が、まず目に飛び込んできた。やはり照明はほとんどついておらず、水槽から差し込む水明かりがフロアの灯となっている。
「いらっしゃいませ。ご予約はございますか?」

黒燕尾を着たボーイがあまり大きくない声で私に話しかけてきた。
「はい。七時からブラックレッド同盟の名で入っていると思います」
「ではこちらへどうぞ」

ボーイは店内の左奥にある階段へと私を誘導した。まるでロフトにでも続くかのような細い梯子みたいな段を下る。しかもライトは乏しい。下った先のフロアにも水槽は続いている。ただ、一階のようにオープン席ではなく、個室が並んでおり、それにより壁が光を遮っていた。
案内をするボーイは個室に囲まれた細い廊下の先まで私を連れてきた。そして止まった所で指を差した。

「この先、地下三階がお客様のお部屋でございます。この階段を下りた突き当たりにドアがございます。そこを開けてお入りください」
それだけ言うとボーイは踵を返し、その場を離れた。
私はそっと階下を覗いた。壁にはライトがなく、真っ暗だ。果たしてこの先に部屋などあるのだろうか。そう疑いながらも、私は段を降りた。

ヒールに踏まれた床がギシギシと鳴る。私は一歩一歩を恐る恐る下る。暗闇にやっと目が慣れた頃、降りる先が遂になくなった。
そこには古びた木の扉がある。この先に宴会場があるとはとても思えない。倉庫か物置だと考えるのが妥当であろう。
一息ついて私は戸を押した。すると眩い光が私の眼を刺した。

———————-

私は埼玉県の小さな村で生まれ育った。村といっても山の中ではない。もっと田舎や地方の人から言わせれば、十分都会なのかもしれないし、ほとんど東京といっても通るのだろう。都心までは一時間もかからずに行ける距離だからだ。
ただ、とにかくアクセスが悪い。私の村は鉄道が通っていないのだ。計画はあったものの、頓挫したと聞く。つまり、陸の孤島なのだ。

最寄駅は東武伊勢崎線の越谷か、もしくは東武野田線の野田だ。どちらにもバスで出なくてはならない。結果、村民の足は自家用車になり、朝晩の慢性的な渋滞を招いている。
そんな足の悪さもあり、地価は頗る安い。そのため、そんなに収入の多くない若い夫婦であっても、至極立派な家を建てられるとあり、ファミリー層からの人気は低くない。私の両親も然りであった。

私は土木作業員の父と専業主婦の母の間に生まれた。両親ともに埼玉出身であり、私の祖父母は実家からほど近い距離に在住している。二人はあまり程度の高くない県立高校の先輩と後輩で、ともに高卒であり、20代前半で結婚した。というか、私を身篭ったため二人は入籍するしかなかったというのが正しい。

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私には弟と妹が一人ずついる。二人とも両親と同じようなライフコースを辿り、今も村内でそれぞれの家族と暮らしている。
一方で私はといえば、家族内で唯一大学に進学し、早くに家庭を持つことはなかった。スーパーマーケットでしか働いたことのない母を見て、私は人生の選択肢を狭めたくないと思ったからだ。

とはいえ、蛙の子は蛙、私の頭脳が明晰なはずがなかった。自分では頑張って勉強していたはずだったが、成績は中より上に入ることはなく、偏差値50そこそこの高校にしか合格できなかった。

高校に入ってからはもっと厳しかった。なんとか日東駒専レベルには行きたいと思い頑張っていたが、模試の結果は程遠く、大東亜帝国にはせめて、と受験に臨んだが、それすら叶わなかった。いまや名ばかりになった都内の女子大も受けたが、そこにも引っかからず、結局、進学したのは千葉県柏市にあるいわゆるFランク私大だった。

そんな大学であるから、もちろん就職先などあるはずもない。世の中的な経済不況も相まって、私の就職活動は困難を極めた。最終的に、大学の就職課が斡旋してくれた柏市内にある国立病院の非常勤事務職員にありつくのがやっとであった。

破れかぶれな私の末路に苦言を呈してきたのは、母とすでに出産をしていた妹だった。両親は私の学費を捻出できるはずもなく、国鉄職員だった父方の祖父から頭を下げて金を出してもらっていたのだ。私もそのことは知っていたから、結果で返したいとずっと努力し続けたのだが、空振りの連発だったから、無理もない。分不相応なのよ、と二人は私を揶揄するようになった。

加えて私が独身であることも家族内で攻撃の対象となった。金食い虫な上に、独り身で禄に稼ぎもない。私は家族にとって、目障りな存在となった。
それでも一人どこかで暮らせるほどの経済的な余裕はなく、実家で寝泊まりするほかなかった。それは休日のこの上ない苦痛を招いた。弟と妹の家族がやって来て、ワイワイと騒ぐ。居場所のない私は自室に籠り、じっとしているしかなかった。

特に正月は苦痛極まりなかった。他人である弟嫁と妹婿が苦手だったため、顔を合わせたくなく、致し方なくファミレスへ時間を潰しに出かけていた。それでも母から甥と姪へのお年玉は出すように言われ、なけなしの給料からはたいて渡していたのだが、額が少ないとケチをつけられる。扶養にしか入っていたことがない人たちから言われる筋合いはないとは思うのだが…。

私だって好きで長く独身を貫いていたわけではない。ただ恋愛経験に恵まれなかっただけなのだ。
私は子どもの頃から良くも悪くも目立たぬ娘であった。学校では、取り立てて得意な科目があったわけでもなく、かといって不得手なものもなかった。すべて可もなく不可もなく、オール3というのが私の成績表の定番であった。

(続く)

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