私の「青春の蹉跌」-第4話
あなたは女性に職場まで押し掛けられた経験がありますか?例え、妻以外の女性と付き合った経験があっても、「ははは、そんなへまはしませんよ」と笑うかも知れません。
私もそうでした。しかし、持ち出された事が10年以上も前のこととなると、「えっ、まさか……」と言葉に詰まってしまいます。
「青春の蹉跌」なんて……自分の身に起こるとは考えたこともありませんでした。
作家名:バロン椿
文字数:約3010文字(第4話)
管理番号:k079
目の前には、私のものよりも濃く黒々とした陰毛が、その奥には性器。
私はそこに飛びつき、ペロペロと舐めると、「ええ、そう、ええよ、気持ちええ……」と史恵さんが悦び、濡れて緩んだところで、舌を中に差し込むと、「あ、あ、あああ、あかん、あかん、そないにしたら、あかん……」と先程よりも大きく、より悩ましい声を上げて暴れ出しました。
頃合いなんか知りませんから、こうなったら、入れるしかないと思った私は史恵さんを押し付け、反り返ったペニスを膣口にあてがい、そのまま腰をグッと突き出し、半ば強引に入れてしまいました。
その瞬間、「あん……もっと優しく……」と史恵さんは顔をしかめましたが、私が腰を振ると、「ああ、ああ、ええ、ええ……」と口が開いてきました。
オナニーと同じ。
二度までは簡単に出るが、三度目となると難しい。
だから、いくら腰を振っても、精液が中々湧き上がってきません。その分、史恵さんの悦びは大きく、私の腰の動きに合わせて「ああっ、あっ、あっ、あっ、うっ、うっ、うっ、ああっ、あああっ……」と首を振って喘ぎました。
そして、額には汗が浮かび、腰を突き出す度にピチャピチャと史恵さんの体液が飛び散るようになった頃、ようやく「ふ、史恵さん……」と逝きたくなり、「まだや、まだや、まだあかん……」と史恵さんが私の体を抱き止めましたが、「あっ!あっ!あっ!……」と一方的に終わってしまいました。
でも、今回は史恵さんも良かったようで、「ふぅぅ、もう一度お風呂に入らなあかんなあ……」とぐったりしていました。
儘ならぬ逢瀬
私と史恵さんはこうして男と女の関係になりましたが、別れ際、史恵さんは「うちらんこと、誰にも言ったらあかんよ。絶対に内緒やで。他人に知れたら、ここに住めなくなるさかい」と、私にきつく言いました。
しかし、一度、肌を交えた者同士、私にとって初めての女性、史恵さんにとっても口にしてはならぬことを告白し、思いを遂げた男の子、その場かぎりで別れられる筈がありません。
でも、二人だけで会うことは簡単ではありません。
なにしろ、史恵さんは中学の同級生、明恵の母親です。
それに明恵の父親は鳶の親方なので朝早く仕事に出掛けますが、夕方6時には現場から帰って来ますから、なかなか家を空けることが出来ません。
ですが、史恵さんには秘密の手だてがありました。
花火大会から1週間後のことです。
「健介、変なのが着ているわよ」と、夕刊を取り出しに行った母が「小池健介様」と書かれた封筒を私に手渡してくれました。
しかし、住所も差出人も書いてません。
「いたずらじゃないの?さっさと捨てちゃいなさい」
母はそう言って部屋から出ていきましたが、私にはピンと来るものがありました。
筆跡です。
ふ、史恵さんからだ……ドキドキしながら封を切ると、一枚の便箋に「火曜の午後1時、◯◯◯駅の北口 相良」とだけ書いてありました。
明恵なら「相楽明恵」と書きます。
誰かに封を切られても、誤魔化せるようにと、苗字しか書かない、そんなことをするのは史恵さんに間違いない、私はそう確信しました。
問題はその内容です。
今日は月曜、えっ、明日だ!「◯◯◯駅」というのは最寄り駅から二つ先、午後1時待ち合わせというから30分前に出ればいい……考え出したら、もう落ち着きません。
夏休みの宿題の追い込み期でしたが、全く手につかなくなりました。
翌日、待ち合わせ場所に行ってみると、日傘を差した女性が立っていました。
近付くと、史恵さんでしたが、Tシャツにジーンズと、普段とは全く違う格好でした。
「ふふふ、お掃除やから」
史恵さんは笑っていましたが、私は「何だよ、あれじゃないのか……」とがっかりして、後をついて行きました。
しかし、5分程歩くと、「松本」と書かれた表札の掛かる古い家の前で、「うちん実家や」と史恵さんは傘を畳んで中に入って行きました。
事情を聞くと、元々、この家は史恵さんの実家で、二年前にご両親が相次いで亡くなり、空き家になっていたが、不用心だと、月に二、三度掃除をしに来ているとのことでした。
「ここしかあらへんでしょう」と笑う史恵さんは既に目が潤んでいました。
それで、事情が分かり、目的もはっきりすれば仕事も速い。
1時間程で掃除を終え、「はあ……疲れたあ」と史恵さんが伸びをしているところに、「ねえ、いいでしょう?」と迫り、「急かさんと」と言う史恵さんを押し倒してしまいました。
「乱暴はあかんよ」と史恵さんは言いましたが、ここに来る時から、これが目的ですから、嫌だとはなりません。
「あ、あ、あかん、あかん……」と体をくねらす史恵さんを追い掛け、私は体を重ねていきました。
しかし、夏休みが終わると、私はどんなに早く帰ってきても午後4時頃。
これでは史恵さんとは時間が合いません。
だから、会えたのは中間テスト、期末テストが終った日と学園祭の時だけでした。
それも期末テストの日は史恵さんが生理だったので、セックスは出来ませんでした。
そのせいもあったと思いますが、暮れの餅つきに呼ばれた時、「健介、お母さんばかり見ている」と同級生の明恵に言われてしまいました。
「他人に知れたら、ここに住めなくなる」
私は史恵さんの言葉を思い出し、怖くなったことを覚えています。
ところが、思わぬ幸運が舞い込んでくるものです。
「健ちゃん、来週、温泉行かへんか?」
2月初め、史恵さんから電話がありました。
「友達と温泉行こうと思とうたんやけど、行かれへんって電話があったんよ。健ちゃん、一緒に行こう」
旅行代金は支払い済みだから、私は何もお金が掛からないとのこと。
こんなチャンスは二度とありません。
「行く、絶対行く」
私がそう答えたのは当然のことです。
旅館で
勿論、近くの駅なんかで待ち合わせはしません。
特急列車の乗車駅、しかも、発車5分前にホームです。
それだからこそ、列車に乗ると、私たちはずっと手を繋いでいました。
旅館にチェックイン出来るのは午後3時、それが待ち遠しくて、どこを歩いたのかさえはっきりとは覚えていません。
2月ですから、午後3時にはもう陽が陰り、冷え込みがまた厳しくなります。
山間のバス停を降りると、「寒いね」、「もう直ぐやさかい」と寄り添って歩き、目指す宿は山の清流に掛かった小さな橋を渡って少しのところ。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
「お世話になります」
「お連れさんは?」
「来れんようになったさかい、息子と来たんよ」
「あら、息子さんとですか。それは羨ましい」
玄関には仲居さんが待っていてくれたが、私にはこんなやり取りでさえ焦れったく感じられました。
「こちらでございます」
通された部屋は二人で泊まるには広めの二間続きの日本間でした。
仲居さんが下がると、私は待ちきれずに抱きつこうとしましたが、「健ちゃん、うちも同じ気持ちや。かて、足が冷えて敵わんよ」と史恵さんにやんわりと制されてしまいました。
触れてみると、足先は氷のように冷たくなっていました。
急いては事を仕損じる。
「お風呂が先でええでしょう?」という言葉に、「はい」と素直に従い、私たちは裸になると、手を繋いで部屋の浴室に下り立ちました。
「うわぁ、凄いなあ、溢れ出しているよ」と私は声を出してしまいましたが、源泉掛け流しの檜風呂です。
おまけに湯船に浸かって外を眺めると、ガラスで仕切られてはいますが、山の景色が一望でき、大自然の中にいるような気分が味わえました。
(続く)
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