まさか母娘としてしまうとは-第4話
「親子どんぶり」、そんな言葉がありますが、本当に母娘とセックスしたという経験のある男はあまりいないと思います。
実は、私、高校1年生の秋、ひょんなことから、中学の同級生の母とセックスしてしまい(勿論、初体験です)、その約20年後、その娘である、同級生とセックスをした、幸運というか、希有な経験の持ち主です。
しかし、そんなことを他人に話したら、「えっ、おまえ、嘘だろう?」と驚かれますが、「おい、あいつ、あの娘だけじゃなく、母親ともやっちゃったんだってよ」となりますから、誰にも打ち明けたことはありませんでした。
でも、今夜は貴女だけにこっそりと打ち明けます。
作家名:バロン椿
文字数:約2430文字(第4話)
管理番号:k149
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第二部:娘、船山朋子
同級会の夜
明子さんとは、こうして男女の仲になったが、放課後にラブホテルに行ったのは、この時だけ。後は、土曜日の夕方や日曜日など、明子さんの車で郊外のモーテルに出掛け、そこで関係を持ち続けていた。
柔らかいおっぱい、少しふっくらとした下腹部、黒々とした陰毛、そこに隠された秘部、「健ちゃん、ああ、ああ、いい、いいわ……」と喘ぐ明子さん、思い出しただけで、今も股間が硬くなる。
そんな親密だったのに、大学に入ると明子さんと会う時間がなくなり、私たちの関係は自然解消となった。
あれから20年近くの月日が流れたある日、「10月○日、旧3年1組で集まりましょう」と中学校のクラス会開催の便りが届いた。差出人は船山朋子、明子さんの娘だ。
へえ、今も「船山」か、結婚してないのか?どんな女になっているか・・懐かしさや、いろいろなことが思い出され、勿論、私は「参加」に○を付け返信はがきを投函した。
当日、集まってきた旧3年1組の面々。40歳近く、男の中には頭髪の薄くなっている奴もいれば、いまだに遊び呆けているやんちゃな奴も。女性陣は主婦となってすっかり落ち着いた者もいるが、キャリアウーマンとしてバリバリの者、あるいはクラブにでも勤めているのでは思われる艶やかな熟女もいて、クラス会は大変な盛り上がりだった。
そして、肝心の船山朋子は中学時代の面影を残しつつも、年を重ねた分だけきれいに、そして色っぽくなっていた。直ぐに話しかけたい気持ちはあったが、「おーい、山本!」と悪友らに呼ばれたので、軽く黙礼しただけで、「やあ、しばらく」とそちらに加わった。
会も終盤、ほろ酔い加減になった頃、ようやく船山朋子に「幹事、ご苦労さま」と声を掛けた。
「ありがとう」
「盛会だね」
「良かったわ。山本君も来てくれて」
「懐かしくてね」
ひとしきりこんな会話をした後、彼女の苗字が変わっていなかったので、失礼とは思いながらも、「まだ結婚していないのかい?」と尋ねた。すると、「ええ、家のこととか、いろいろとあって、大変だから」とちょっと寂しそうな笑みを浮かべていた。それで、「でも、元気そうで良かったよ」と返すと、にっこり笑って「ありがとう」と答えた。
でも、知りたかったのは、明子さんのこと。
「お母さんはどうしている?」とさりげなく聞いたのだが、「どうしてそんなことを聞くの?」と顔色が変わった。ドキッとした。まさか、あのことを知っているのか、平静を装ったつもりで、「どうしたんだい?」と返したが、「山本君って、お母さんと随分親しくしていたけど、本当はどんな関係だったの?」と私をじっと見つめて目を逸らさない。
「ど、どんなって・・」と一応惚けたが、内心はビクビクしていた。すると、やはり「男と女の関係だったんでしょう?」といきなり核心に迫ってきた。
「いや、そんなことは・・」と口籠もり、慌ててグラスの水割りを飲み干したが、「知っているのよ、私」と彼女もワインを飲み干していた。
もはや、言い逃れは出来ないか・・しかし、「おい、山本、船山とだけ話してんじゃねえよ」、「二次会に行くぞ!」等と野次馬がいるところでは、「実は」なんて言えない。それで、「ちょっと後で」とその場を切り抜け、クラス会が終わると私も彼女も二次会の誘いを断り、少し離れた場所にあった喫茶店で待ち合わせし、そこで向き合うと、なれそめから正直に話し始めた。
まさかの展開
最初は購買部に挨拶に行ったこと、それから親しくさせてもらい、放課後はお母さんの傍で勉強していたこと、と続けた。
朋子はやや俯き加減で黙って聞いていたが、二学期になって喫茶店に行くようになったというと、顔を上げ私を睨むような顔つきに変わった。
なんだよ、そんな目で見るなよ・・コーヒーを一口啜ると、だったら遠慮はしないぞと、私は「どうなってもいい」とお母さんから誘われ、衝動的にセックスしてしまったこと、そしてそうした付き合いは高校を卒業するまで続いたことをはっきりと伝えた。
「酷い人」
黙って聞いていた朋子は、そう漏らすとプイッとそっぽを向いて、タバコに火を点けていた。
カチンときた私は「『酷い人』って、『どうなってもいい』と誘ってきたのはお母さんの方だぞ」と言い返すと、「だからといって、何をしても許されるとは限らないわよ」と煙を吹きかけ、「私は山本君だから、F校に合格した時、お母さんのことを教えたのよ。それなのに、こんなことをしていたなんて」と責め立ててきた。
裏切り者!とでも言いそうなその顔に、私は「あ、いや・・」と気圧されたが、「お母さんもお母さんよ。『結婚して20年も経つと厭きるのよ』なんて、バカなことを言って」と怒っている彼女は、私に向けているというよりも母親を恨んでいるように思えてきた。
会話が途切れ、気まずい雰囲気になった。時計を見るともう午後10時半近く。「こんな時間か」と逃げ出すように席を立つと彼女も立ち上がった。
秋の夜風は冷たく、歩道を歩く人も疎ら。
「それじゃあ」と、私は駅に向かったが、朋子もついてくる。同じ方向だから仕方がないが、またぐじぐじ言われたら煩わしいなと思っていると、「ねえ」と後ろから声がした。振り返ると、「悔しいのよ」と泣きそうな顔をしていた。
あれ、どうしたんだ?と思い、「どうしたんだよ?」と聞き返すと、「あの人、私が山本君を好きなことを知ってて、誘ったのよ」と全く思いもしなかったことを言い出した。
思わず「嘘だろう」と呟くと、「あなたも鈍感なんだから」と首を振り、「好きでもない人にお母さんを紹介する?」と問い掛けてきた。
言われてみればそうかもしれないが、当時の私は母親の明子さんにすっかり魅力されていたから、朋子のことはすっかり頭から消えていた。
返す言葉に詰まっていると、「思いを返して欲しい」と詰め寄ってきた。まさか、まさかの展開に「あ、いや」と私は狼狽えたが、朋子は「今夜はどうなってもいいの」と身を寄せてきた。
(続く)
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