闇の男-第20話
日本の夜の世界を支配する男、武藤甚一(じんいち)と、それに立ち向かう元社会部記者、「ハイエナ」こと田村編集長らとの戦いを描く、官能サスペンス長編。
作家名:バロン椿
文字数:約3240文字(第20話)
管理番号:k077
米田もペットボトルのキャップを捻ったが、彼は悪党ではなく、悪知恵の働く税理士に過ぎない。
「私は知らなかったことにして下さいよ。顧問税理士でもないのに、ただのお友だちですから」と不安気な顔で念を押すと、町田はニヤッと笑って、そのお茶をゴクゴクと飲んでいた。
米田とは長い付き合いだが、町田にとって彼は所詮「道具」の一つ。
裏切らなければ、悪いようにはしない。
「ははは、『著名な税理士』には迷惑を掛けんよ」と町田が肩をポンポンと叩くと、米田は安心したのか、「何が『著名な税理士』ですか、よく言いますよ」と笑い、ようやくボトルのお茶を口に含んだ。
財産処分、いや財産隠しに関する二人の打ち合わせは更に続き、社長室の明かりが消えたのは深夜になってからのことだった。
出来つつある包囲網
「おい、アートギャラリー・マチダが倒産だとよ」
「驚いたな、町田社長が朝岡悦子を告訴したぞ」
今回の逮捕劇で、疑惑の中心となったアートギャラリー・マチダが突然自己破産を申請した。
やり手経営者として美術界に影響力を持っていた町田は自分の画廊を法人化していなかった。
いや、しなかったと言った方が正しい。
法人化すれば、やれ役員会だ、株主総会だと手続きが増えるが、個人事業主ならば、自分の思う通りになる。
その町田が自己破産に至った原因は逮捕された朝岡悦子にあると刑事告訴したのだ。
「当画廊の専属画家、朝岡悦子が無断で実印を持ち出し、資産の売却、多額の預金を引き出していたことが判明しましたので、本日、ここに告訴することを決めました。詳しくは記者会見の場で……」
このように記されたファックスがアートギャラリー・マチダからマスコミ各社に送付されてきた。
「町田の野郎、何を企んでいるんだ?」
記者会見場には警察回りの社会部記者だけでなく、文化部記者も集まり、ごった返していた。
だが、肝心の会見となると、町田は「私は被害者。信頼していた仲間に騙された」としか言わず、記者の質問には「警察で捜査中のため、お答えはご勘弁を」と繰り返すばかりだった。
しかし、悪党の扱いに慣れている社会部記者がそんなことで「はい、そうですか」と引き下がる訳がない。
「『私は被害者』、誰がそんなこと信じると思っているんだ!」
「破産だなんて言いながら、資産隠しじゃないですか!」
「卑怯者!」
とマイクを持つ町田のところに迫り、更に、
「結局、そういうことで美術展も誤魔化してきたんですね」
「あなたに乱暴されたという女性モデルが沢山いますが」
と文化部記者に追及されると、町田も旗色が悪い。
彼らも町田の数々の悪行を掴んでいながら、これまでは多方面からの圧力に屈し、記事が書けなかった。
だが、週刊スクープの爆弾記事のお陰で、今はその圧力もない。
特に一連の事件は拉致、監禁に加え、未成年に対する淫行罪だ。
それも全て朝岡悦子に押し付けようとしている。
記者たちは絶対に許さないという気持ちで一杯だ。
「こうなったら洗いざらい記事にして、町田の悪事を全てさらけ出してしまえ!」
警察も容赦しなかった。
「朝岡悦子の使い込みが原因で自己破産なんて、警察を騙せるとでも思っていたのか、バカ者が!徹底的にやってやるぞ」
横田副署長の目は燃えていた。
朝岡悦子に続く、武藤の腹心、西崎英吾の逮捕、それに町田、これで武藤が繋がる線が太くなってきた。
だが、問題は失踪者の一刻も早い救出。根岸美智代、川島雄介は無事に助け出すことが出来たが、もう一人、橋本世津子の行方は手掛かりさえ見つけられない。
早くしないと、手が届かないところに連れていかれてしまう……
横田副署長は焦る心を押し殺していたが、その時、リーン、リーン……と電話が鳴った。
何か新しいことでも掴んだか、そう思って受話器を取ると、「あっ、横ちゃん?」と盟友、週刊スクープの田村からの電話だった。
(何だ、こんな時に……)
そんな思いが、「何だ、村ちゃんか」と言葉に出てしまった。だから、
「何だってことはねえだろう?せっかく電話してあげてんだからさ」
と田村の反応は予想通り。
しかし、長い付き合いだから、「いやあ、悪い、悪い。部下からの連絡を待っていたんで。で、どうした?何か新しい情報でも掴んだか」と言えば、電話の向こうで「ははは、お忙しそうで何より」と皮肉を込めた挨拶が返ってくる。
そして、一つ咳払いを入れ、田村の話が始まった。
「香港の仲間からの情報だけど、町田が武藤の金を香港に持ち込んでいる。その先には王(ワン)維民(ウェイミン)がいる。これは手ごわいぞ」
「何、王維民?」
「そうだ、奴だ」
王維民、夜の元締めとして、キャバレーやナイトクラブは勿論、売春など「女」の調達、供給を牛耳っている、東南アジアの夜の帝王だ。
この男の世界に取り込まれたら、香港、マカオだけでなく、世界中のチャイナタウンにも流される。
もう救出は出来ないと言われている。
「まずいな」
「うん、奴はやばい」
「そうだな」
「時間がないから、真っ当な捜査だけじゃダメだ」
「しかし、なあ」
「横ちゃん、汚いことは俺に任せろ」
〝ハイエナ〟田村が嗅ぎつけてきた情報、いや、彼の勘かも知れない。
だが、田村は的を外したことが無い。ここは彼に賭けるしかないか……
「よし、分かった。俺も分かったことは何でもあんたに流す。だから、とことんやってくれ。武藤を逮捕し、被害者を助けるためなら、村ちゃん、あんたと心中する覚悟だ」
「そうこなくちゃ。今、武藤は居場所がなくなりつつある。だから、俺はあらゆるマスコミを使って奴をあぶり出し、居所を見つけるから、横ちゃん、あんたはあいつをとっ捕まえてくれ」
「了解だ」
横田副署長がグッと握り締めると、電話の向こうからも同じ音が聞こえてきた。
揺らぐ、闇世界の勢力図
「もう堪忍して、お願い」
裸にされ、両足首を太い孟宗竹に縛り付けられた女が両手で股間を隠して哀願するが、座敷で乱痴気騒ぎを繰り広げる男と女は聞く耳を持たない。
「手がいけないんだ、そんなとこを隠しやがって。おい、縛ってしまえ!」
「はい、分かりました」
ダボシャツ姿の若い男が女の両手首を別の孟宗竹に縛り付け、欄間に通したロープで二本の孟宗竹を釣り上げた。
「いやあ、そんなことしないで!」
V字の格好で吊るされた女が泣き叫ぶが、酔っ払った男と女が「ははは、丸見えよ。いい眺めね」、「富江、お前のもあんな形か?」と卑猥な言葉を浴びせかける。
「じゃあ、見せてみろ!」と男が、そして、「ふふふ、高いわよ」と女がもったいぶると、その股間にバサッと札束が投げこまれた。
女を片手で抱きながら酒を飲んでいた武藤甚一だ。
彼はニヤリと笑うと、「富江、これでは足りんか?」と酒をあおった。
その時、障子が音を立てずに開き、メモが差し入れられた。
「そうか、分かった」
「では、あちらで」
武藤は座敷を出て行こうとしたが、ふと思いついたように立ち止まった。
「和夫、楽しませてもらったな。その女、好きにしていいぞ。褒美だ」
「あ、ありがとうございます!」
ダボシャツの男は飛び上がって喜び、「和夫ちゃん、頑張って!」、「お前いいな」等の言葉が飛び交い、再び座敷は大騒ぎになった。
******
「お呼び立てしてすみません」
別室に入った武藤を、福岡の山本旅館の後始末について、神戸と折衝していた小池貞夫が待っていた。
「いや、それより何て言っていた?」
「いや、それが、これで手打ちにして欲しいと」
彼が風呂敷包から取り出したのは3百万。
損害分は当然、裏社会の者ならば指を差し出すものだが、秋山は堅気。
ならば、それ相応の金額を積むものだが、これでは話にならない。
「何だ、これは」と一束掴んだ武藤は顔色一つ変えないが、目を見れば、怒り狂っているのが、ありありと見て取れる。
「それで、秋山はどうすると?」
「はあ、親分は『武藤さんによろしく』とだけ仰ると、奥に引っ込んでしまい、若頭の本山に問い質すと、『謹慎させる』とのことでしたが」
「ふざけるな!」
武藤は手にした札束を小池の顔に投げつけた。
(続く)
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