闇の男-第19話
日本の夜の世界を支配する男、武藤甚一（じんいち）と、それに立ち向かう元社会部記者、「ハイエナ」こと田村編集長らとの戦いを描く、官能サスペンス長編。
作家名：バロン椿
文字数：約3050文字（第19話）
管理番号：k077
「秋山、やりやがったな」
警官に両脇を固められ、大広間から連れ出される西崎に、「ははは、これだよ」と秋山が発信機を突き付けた。
「西崎さんよ、逮捕監禁罪、並びに強制わいせつ罪が直ぐに加算されるぜ」
「うるせえ！覚えてろよ」
悪党たちが連れ出されるのと、入れ替わりに婦人警察官と看護師が入ってきた。
「大丈夫よ。家に帰れるのよ」
「ほ、本当ですか？」
「心配しないで」
美智代と雄介は毛布にくるまれ、看護師らに支えられ大広間から出て行ったが、殴られ赤く脹れた頬に冷却剤を当てている秋山には、「次は武藤だ。許さねえぞ！」と「社会部魂」が真っ赤に燃え上がっていた。
出始めた綻び
「私は君がどうしてもと言うから美智代たちを預かっただけだ」
「あ、いや、先生、それは」
武藤から架かってきた電話は一方的なものだった。
受話器を握る町田は苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
「それに悦子だ。『外に出るな』と注意しておけと言ったのに、ノコノコ出掛けて捕まりやがって。これは君がしっかり躾けていないからだ」
悦子のことは事実だから言い訳のしようがない。だが、美智代と雄介のことは違う。しかし、彼に逆らえば、どうなるか分からない。
「とにかく、今回のことは、お前のところで起きたトラブルが原因、そのいうことで決着させろ、分かったな」
「しかし、それは」
「なんだ、不満なのか？」
「そうではありませんが」
「それなら結構だ」
武藤はそれだけ言うと、町田の返事も聞かず、電話を切ってしまったが、町田は受話器を叩きつけたい気持ちだった。
全て、俺の責任？冗談じゃない。
これじゃあ、まるで「蜥蜴の尻尾切り」じゃないか！
悦子の逮捕で、既に警察の徹底捜索を受け、アートギャラリー・マチダは展示エリアは勿論、事務所にも誰一人寄り付かない。
一人で社長室に籠る町田は切り抜け策を考えていた。
彼は表向き、アートギャラリー・マチダの社長で、美術界の実力者だが、裏では武藤の力を借り、風俗ビジネスの世界でも力を蓄えている。
加えて、万が一のため、香港に資産管理会社を作り、そこにかなりの蓄えを残してある。
闇の世界の恐ろしさは十二分に知っているが、数々の悪事を重ねてきた町田も相当な玉だ。
おいそれと引き下がる訳にはいかない。
クソったれ。
だったら俺の遣り方でやってやる。
グダグダしている暇はない。
彼は悪友の米田（よねだ）税理士を呼び出した。
刺青
古い５階建てビルの一室では、紺の股引きに、背中に「彫雅（ほりまさ）」と染めた鯉口シャツの男が、全裸の女の背中に墨を入れていた。
「ああ……」、「あっ……」と時々小さな呻きを上げ、女はその痛みに堪えているが、既に太腿には鮮やかな牡丹の絵が彫られていた。
「ふぅぅ……」
男が大きな息を吐き、手にしていた墨入れの針を置いた。
すると、室内に張りつめていた緊張が一気に解れ、それを待っていたかのように、傍らで見ていた頬に疵（きず）のある小池（こいけ）貞夫（さだお）も、「ふぅぅ……」と息を吐き、それと同時に「いやあ、見事なものだ」と手を叩いた。
「あ、いや、どうも」と「彫雅」のシャツを羽織った男は旨そうにお茶を啜った。
小池は「ご苦労さん」と言って隣に腰を下ろすと、バッグから紙袋を取り出した。
「いやあ、久し振りですよ、こんな大きな仕事は」
彫雅の額には汗が滲んでいるが、出来映えには満足している感じだった。
「あとどれくらいだ？」
「３日ですかね」
「そうか、あ、いや、悪いな」
小池は彫雅の弟子が淹れた茶を啜ると、「これはほんの気持ちだから」と紙袋を彫雅の前に差し出し、「まあ、あんたの腕からすれば、恥ずかしい額だがな」と付け加えた。
だが、その膨らみ具合から推測すると、かなりの金額が入っているように見える。
彫雅は「ありがとうございます」と深々と頭を下げたが、用が済めば長居は無用。
小池は「じゃあ、頼んだぞ」と言って部屋を出て行った。
「しまっておけ」と彫雅は紙袋を弟子に渡したが、「もう止めて……」と泣く女の声が聞こえてきた。
堅気に見えるが、何をしていた女なんだ……
どうせ終わったら、どこかに売られるんだろうが……
喜んで刺青を入れる者もいれば、無理やり連れて来られる者もいる。
しかし、余計なことを考えてはいけない。
忘れるんだ、そんなことは俺には関係ないと頭を大きく振った彫雅は、残っていたお茶を飲み干すと、再び針を手にし、墨入れにかかった。
偽装工作
アートギャラリー・マチダでは作業服の男たちが次々と荷物を運び出し、表に停めたトラックに積み込んでいたが、中には「こんな伝票書いてもいいのか？日付は先月じゃねえか」と首をかしげる者もいた。
だが、直ぐに主任格の男から、「俺たちはそんなことは気にしないんだよ。言われた通りにしていればいいんだ」と叱られていた。
「随分とありますね」
「まあね。３０年、３０年だよ、この画廊を作ってから集めた物だから」
町田は米田税理士と財産リストを手に、その様子をチェックしていたが、「Ｘ－３」の札が付いた荷物を見ると、「おい、それは向こうだ」と裏口を指差した。
男たちは「はい、分かりました」と「回れ右」をしてそちらに運んで行ったが、米田税理士は「あれもですか？」と呆れ顔をしていた。
昨日、町田から呼び出された彼は、大胆な財産処分計画を打ち明けられた。
「ここにあるものを、売るものは『Ａ』の札を付け、売った形にするものには『Ｂ 』の札を、そして、盗まれた形にするものには『Ｘ』の札を付ける」
「何ですか、『売った形』とか『盗まれた形』って？」
「まあ、聞いてくれ。どうせここはダメだ。潰れてしまう。だから差し押さえなんかさせる前に全ての財産を処分してしまうんだ。まず、本当に売るもの。処分するんだから、少しは売らないと、『この野郎、隠しやがったな』となるからな。次に『売られた形』にするものだが、悦子が捕まるずっと前に、既に売ってしまったことにして、『有りません』と言うんだ」
「海外に持ち出すのですか？」
「まあ、そんなとこだ」
「で、『盗まれた形』って？」
「簡単なことだよ。悦子が盗んだことにして、あいつの母親のところに放り込んでおくんだ。そうしないとシナリオが崩れるだろう？ははは」
「感心するね。全く悪党だね、あなたは」
画廊では絵の搬出が続いていたが、別の作業服の男が「社長、これはリストにありませんが、どこに運びますか？」と新たな絵を抱えてきた。
だが、町田はちらっと見ただけで、「それは売却用としてくれ」と答えていた。
その様子が、あまりにもあっさりしていたので、米田税理士は「いいの？ ちゃんと見ないで」と心配したが、「あれは模造品だ」と町田は笑っていた。
こうなると、呆れを通り越し、「敵わないな、あなたには」と笑うしかない。
だが、町田は顔色一つ変えず、作業責任者を呼ぶと、「社長室にいるから、何かあったら呼んでくれ」と言って、米田と社長室に籠った。
「誰もいないから、こんなものですまんな」と町田は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出した。
「ああ、どうも。ところで、銀行関係は大丈夫でしょうね？」
「問題ないよ。もともと銀行には税務署の目が光っているから、全て悦子に行かせておいたから、筆跡も、なにもかも悦子だ」
「そうですか、それはシナリオとぴったりですね」
「ははは、考えていた訳じゃないけど、結果的に都合が良かったな」
町田はボトルのキャップを捻ると、「後は記者会見かな。これを乗り切れば、世間の目を反らせるから何とかなるだろう」と言って、一口、それを口に含んだ。
（続く）
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