凄い熟女~他人には言えない体験-最終話 3370文字 バロン椿

凄い熟女~他人には言えない体験-第6話

もう40年も前のことですが、私は凄い熟女に会いました。
周りの人たちから「お京はん」と呼ばれていた40代半ばの、色っぽい人で、19歳だった私をいろいろな意味で「大人」にしてくれた恩人です。
今も元気なら、80代後半。もう一度会いたい。今回はその人の思い出を語りましょう。

作家名:バロン椿
文字数:約3370文字(第6話)
管理番号:k135

チュッ、チュッとひとしきり唇を合わせると、直ぐに体を入れ替え、私に顔の上に跨がり、下腹部に突っ伏すようにしてチンポを咥えこむ。私も負けずにアソコにしゃぶりついて舐め合い。「あーあー、たまらんわー」と彼女は声を上げ、身を翻すと、私の腰に跨りギンギンのチンポをズボッと自分の穴に入れ込み、両足を伸ばし、私の胸にしがみつきながら小さく腰を使い、忽ち、「いく、逝く、逝くぅぅぅ……」と身を捩って果てました。

私は志乃さんを抱いたまま転がり、体を入れ替えると、腰を使ってゆっくりとチンポを出し入れしながら、唇に吸い付きました。すると、息を吹き返した志乃さんが「ああ、啓ちゃん、啓ちゃん、好きやで……」と腰を動かし、パン、パンとぶつかり合い、それを繰り返していると、急にアソコの穴の奥から温かい液が溢れ出し、更にピチャ、スポン、ピチャ、スポンの音とともに、溜っていた液が外に飛び散りました。

最後は、志乃さんが顔を赤くして、「うーん、うーん、うーん」と唸るような声を上げ、今まで腰に巻き付けていた両脚を真っ直ぐに伸ばし切って腰を持ち上げ、私も「あ、あ、あぁぁ……」と精液を放ちました。最高に気持ちの良い終わり方でした。
午後3時頃まで、握り飯を頬張ったものの、それこそ「やり続け」、5回も精を放ち、30分の帰り道がとても辛かったです。

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「またね」と別れましたが、翌月も同じように出掛け、狂ったように抱き合いました。しかし、味わってしまうと、月に1度では我慢出来なくなる。月に2度ならが3度と増えていきました。
「あんたら、気ぃつけなはれ。こんなんしとったら、旦那に見つかるわぁ」
お京はんが真顔で心配していましたが、志乃さんは「心配いれへん、あいつはうちに関心があれへんさかい」と聞く耳持たずでした。

「間男」とそしられ、袋だたき

秋晴れの10月。
「草が伸びてるさかい」と志乃さんは私を連れて実家に向かいましたが、何だか胸騒ぎがして落ち着きませんでした。
しかし、「啓ちゃん、お茶にしよう」と呼ばれると、草むしりも終わっていないのに、座敷に上がり込んで、志乃さんのもんぺを引き下ろしてしまう。

私は志乃さんの脚を広げてそこに入ると、両足首を高く持ち上げ、まる見えになったアソコをゆっくりゆっくり舐め上げる。エビ固めのようにされた志乃さんは、「あかんで、あかんで、そんな乱暴なこと」と言いながらも、たちまちビチョビチョに濡れてしまい、「け、啓ちゃん、あっ、あ、ああああ……あかん、あかん……」と泣き出してしまった。

もう入れるしかない。私はチンポを掴み、亀頭の先で志乃さんのアソコを何度も擦り、それから腰を下げてグッと前に突き出しました。さあ、これからだという時、ダンと襖が開けられ、「この野郎!」と男たちが飛び込んできました。
ヤバイと思った時はもう遅い。志乃さんから引き離された私は、「貴様が間男か!」と男たちに竹刀で滅多打ちにされました。志乃さんは「かんにんな、かんにんな」と両手を合わせて謝っているのに、怒り狂った旦那さんに「おまえちゅう女は!」と何度もビンタされていました。

気がついた時には辺りは薄暗く、私は真っ裸のまま庭に放り出され、踏みつけられて泥だらけの服が傍に投げ捨てられていました。
どうしよう、お京はんに合わせる顔がない。でも、帰るところは彼女の家しか無い。それで、暗くなってから木戸を開けると、「アホやで、お前は」と一発ビンタを喰らいましたが、それ以上は何も言わず、お湯で体を拭いてくれ、傷になったところに薬を付けてくれました。

終章

私は傷が癒えるまで、寝かされていました。
その間、「うちが志乃ちゃんを巻き込んだことがあかんかった」と、お京はんが志乃さんの旦那さんに頭を下げたそうです。しかし、志乃さんの旦那さんの怒りは収まらず、「あんたの出る幕ちゃう」と追い返されたりしたようです。ところが、どこから来たのか分かりませんが、目つきの鋭い男が現れ、「姐さん、うちが話を付けてきまひょ」と、お京はんに代わって出向き、志乃さんは離縁されたものの当座の生活資金も受け取り、「お京はん、すんまへん」とこの地を去って行きました。

1週間後、体が治るとお京はんから「啓治、お前も、もうここにはおられへん」と言われました。当たり前です。
しかし、どこに行くか?親父と喧嘩して家を飛び出したので、故郷には帰れない。そこで、お京はんが九州の知り合いに頼んで、旅館に住み込み働くことにしてくれました。

別れの前日、お京はんは店を休みにして、「心の垢を落とさんと」と私を温泉に連れて行ってくれました。
「ええ眺めやな」とバスに揺られてついた旅館は、木造三階建ての老舗。「高いんちゃう?」と言うと、「子供が何言うねん」と臑を蹴飛ばされた。生意気なことは言うものではありません。

何度も体は合わせていましたがお京はんの家には風呂がなく、通された部屋には風呂がついていたので、「お風呂でも入ろうか」と二人で一緒に初めて入りました。
檜の湯船に浸かって外を眺めると、ガラスで仕切られてはいますが山の景色が一望でき、大自然の中にいるような気分が味わえました。

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「ふう、気持ちええね」とお京はんは上機嫌。そして、風呂から上がれば、座布団を並べて横たわると、大きく脚を広げて「早よ、オ●コを舐めて、舌でペロペロやって、ここを、オサネを舐めるんよ……」といつもより大胆でした。

知り合いなどいない、温泉旅館です。構うものかと、私もそれに応えました。指でアソコを開いて押し広げ、言われるようにクリトリスの頭をペロペロと舐めました。直ぐに濡れたお京はんは、最初こそ、「はぁーはぁー」と荒い息をするだけでしたが、たちまち、「あ、あ、あああ」というあえぎ声が混じってきました。夕食前だから仲居が来たら困ると思い、早めにと、私はお京はんの脚を抱えてチンポを膣口に挿し込むと、そのまま覆い被さりました。

「もっと、もっと、そう、そう、もっと、もっと早う……ああ、ええ、ええわよ……」という喘ぎと、ペチャペチャ、グチュグチュ……チンポを抜き差しする音と腰がぶつかる音、私はその音にさらに刺激を受け夢中になって腰を動かしました。すると、お京はんは外にも聞こえてしまうような大きな声を出し、私にしがみついてきました。

「ああん、あ、あ、ああ、ええ、ああ、あっ……け、啓治、あ、あ、あかん、あかん、あ、あ、ああ…逝くぅぅぅううぅ!!」
終わった時、真っ赤な顔をした仲居が「あ、あの、すみまへんが、もうええでしょうか?」と遠慮がちに襖をあけました。
翌朝、一緒に風呂につかり、もう一汗。
「もう思い残すことはあらへん」と笑うお京はんの乳首の尖りと黒い陰毛。今でもはっきりと覚えています。

そして、朝食を済ませると正座したお京はんが、「ここにお座り」と私を座らせ、「今回のことで分かった思うけど、うちはある親分に世話になってる女や」と、自分のことを初めて打ち明けました。
「こんな騒ぎを起こし、堅気の人に迷惑を掛けた以上、うちもあそこには帰られへん。お前ともここでお別れや」と言いました。「あ、いや、でも」と私が言いかけたとき、「未練残さんと、店もきれいさっぱりや」と遮りました。

そんなところが、やっぱりお京はんです。そして、いつ用意してくれたのか分かりませんが、旅館に事前に送っておいたスーツケースから、真新しい下着や、ワイシャツ、スーツなどを取り出し、「門出や」と私を着替えさせました。そして、「ええか、啓治」と、改めて私の名前を呼び、「向こう(九州)では、生まれ変わったつもりで働け」と言いました。

私も覚悟していましたから、「うん」と頷くより他はありませんでしたが、その時、突然、お京はんがポロポロと涙を流したのです。どんな時も、弱音など吐いたことがない、強いお京はんが初めて見せた涙です。私は熱いものがこみ上げ、泣くまいと歯を食いしばりましたが、止めどなく涙が溢れて止まりませんでした。

あれから40年。旅館の前で別れて以来、お京はんとは会っていません。
九州で働いている時も、「元気だ、心配するな」と勤めた旅館のオーナーから教えてもらいましたが、居所はついぞ教えてくれませんでした。
元気なら80代後半。できたら、もう一度会いたいとしきりに思う今日この頃です。

(終わり)

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