闇の男-第3話
日本の夜の世界を支配する男、武藤(むとう)甚一(じんいち)と、それに立ち向かう元社会部記者、「ハイエナ」こと田村編集長らとの戦いを描く、官能サスペンス長編。
作家名:バロン椿
文字数:約3070文字(第3話)
管理番号:k077
彼は「はい、こっち、うん、そう、ちょっと上を見て……いいよ……」と美智代にポーズを取らせながら、カシャ、カシャカシャと、どんどんシャッターを押していく。
その間、何度か衣装を替えたが、スタイリストが差し出したものはミニスカートやキャミソールもあったが、一般の主婦が着てもおかしくないものばかりだった。
「少し休憩しようか」
「先生」の声が掛かり、美智代はスタイリストからペットボトルを渡された。
時計を見ると午後6時を少し過ぎていた。
「あれでよろしかったのでしょうか?」
「いいですよ。自然な雰囲気がとてもいい。プロのモデルはどうもよくない。よく見せようと演技をしてしまうが、あなたはそうじゃない。やはり本当の主婦でないとダメだ。来て頂いてよかった」
恐そうに見えたが「先生」は優しかった。
美智代はほっとしてペットボトルのお茶を一口含んだ。
「もう1時間ぐらいですから、頑張って下さいね」
「はい、よろしくお願いします。」
その時、奥の部屋から「は~い、先生、OKですよ」とスタイリストの声が聞こえてきた。
「さあ、始めますか」
「はい」
美智代は「ふぅー」と両手をあげて伸びをして、あと1時間だから頑張ろうと「先生」について行った。
ヌード撮影
「こ、これは何ですか?」
美智代は足が止まってしまった。
奥の部屋は寝室。
キングサイズのダブルベッドの上掛けは取り払われ、真っ白なシーツが皺一つもなく敷かれていた。
「はは、驚くこともないでしょう。服の次は下着、最後はヌードですよ」
「そ、そんなの聞いてません!」
「おかしいな、『カメラマンの指示に従え』と言われてきたと聞きましたが」
「先生」が優しくみえたのは言うことに従っていたから。
どっしりソファーに腰を下ろして美智代を見据えるその目はそうではなかった。
「あなたは借金返済のためなら、難しい仕事でもなんでもすると言ったと聞いている。裸になることくらい難しくないだろう」
「まあ、怖い人たちですよ」と言っていた町田の顔が脳裏に浮かび、美智代は足が震えてきた。
「どうしたんだね、そんなとこに立ったままで?」
イヤだと拒否したら何をされるか分からない、低く凄みのある声。
町田が言っていたように、夫の学校に乗り込み、「金を返せよ!」と騒ぎ立てるかも知れない。
そんなことになったら、夫は学校にいられないどころか、教育委員会から「教師失格」の烙印を押されてしまう。
かといって、人前に裸をさらすことは……一、二歩、後ずさりすると冷たいドアノブに触れた。
美智代は後ろでノブを捻ったが、ドアは開かない。
「撮影中は締め切ります」
鍵はスタイリストが掛けていた。
「いつまでそこに立っているんだ。娘じゃないんだから、裸になったって困ることもないだろう」
「…でも……」
カメラマンもスタイリストも手を止め、「先生」の方を見ている。
空気まで凍りついたように物音一つしない。
「まあ、そこまで嫌ならしょうがない」
「先生」が立ち上がってドアを開けた。
「か、帰っても、帰っても」
「嫌がる女の裸なんか必要ない」
美智代は「先生」の気持ちが変わらないうちに帰ろうと寝室を出ようとした時、もっとも恐ろしい言葉が背中から聞こえてきた。
「娘さん、由美(ゆみ)ちゃんっていったかな、小学校2年生だね。送り迎えはしなくて大丈夫かな」
「先生」の言葉に凍りついた美智代だが、カメラマンやスタイリストの顔にも緊張が表れていた。
室内は美智代が服を脱ぐ音だけが聞こえる。
「素直になればいいだけだよ、奥さん」
「先生」はウィスキーを飲みながら見ているが、目には笑いはなく、とても冷たい。
「きれいだ」と言われたのは20代の頃。
毎月のように美容院に通い、セミロングの髪は手入れが行き届いていたが、35歳の今は3ケ月に一度がやっと。
髪のほつれも目立ってる。
背丈は158cmと変わらないが、贅肉がついて、体重は56kg、スリーサイズが84-65-85、あまりくびれがない典型的な中肉中背。
「先生、よろしいですか?」
「あ、すまん、すまん。始めてくれ」
最初にスタイリストから渡されたのは白いレースのショーツ。
まだ海水浴には早いから陰毛の手入れはしていないから、下着の線近くまで繁っている黒くふさふさとした陰毛が溢れ出そう。
美智代はそれを手で隠そうとしたが、「ダメだ」と「先生」から怒られた。
「奥さん、いいんだ。さっきも言ったように、そういう自然な形がいいんだ」
その後、紐やシースルー、そしてタンガを着せられ、最後は全裸になって、ベッドに腰掛けでくつろぐところから、仰向け、うつ伏せなど、数えきれないほどシャッターが押されたが、全て自然なポーズばかりだった。
「ご苦労様。疲れたでしょう。シャワーを浴びて帰りなさい」
「先生」はそう言っていたが、きっとシャワーを浴びる所も撮られてしまう。
美智代は服を着ると髪の乱れも直さず、部屋を飛び出していった。
「町田さん?私だよ。うん、お蔭でいい写真が取れたよ……ああ、素晴らしい素材だよ。メールで送るから……そうですか、それはよかった。ありがとう。それじゃあ」
「先生」は電話を終えると、「後は頼むな」と帰っていった。
誘い
朝岡悦子から連絡があったのはそれから2週間後だった。
「雄介クン? はい、悦子よ。明日、モデルを呼んでいるから、勉強にいらっしゃい」
「君の先生だ」と言われたのに電話がなく、心配していたところだった。
喜んでもらえると思って大先生に伝えたが、「個展の準備で忙しい。もうお前は町田さんに預けたんだ」と他人事のような返事だった。
「いらっしゃいませ」
「あの、ここに来るように言われた川島です」
「やあ、雄介君、こっちだ」
受付で挨拶していると、応接室から町田が顔を出した。
「あの、朝岡さんは?」
「ははは、こっちで待ってるよ、君に会いたいって」
笑顔の町田と入れ替わるように入った応接室はガラスのテーブルを挟んでソファーが向かい合うように置かれているが、それ程広くはない。
「雄介クン、こんにちは」
中では朝岡悦子がソファーに座って待っていたが、別人かと見間違えてしまった。
先日は仕事着替わりの洗いざらしのワイシャツなのに今日は花柄のミニ丈のワンピース、それにしっかりとお化粧をしている。
吸っていたタバコを灰皿で消したついでに大胆に脚を組み直すと、ちらっと下着が見えた。
ドキッとした雄介が慌てて目を逸らすと、「どうしたの?」と意地悪く聞いてくる。
咄嗟に「いや、あの、あ、いや、きれいだから」と言うと、「ふふ、子供のくせしてお世辞なんか言っちゃって」とまたも脚を組み替える。
雄介は気になってしかたがなかったが、彼女に「モデルさんがキャンセルになったのよ」と聞かされると、「せっかく来たのに、なんだよ」と文句を言いたくなった。
そこに書類を持った町田が入ってきた。
「どうしたんだい、雄介君?」
「あの、デッサンは中止ですか?」
「ははは、そのことか」
「絵の勉強にいらっしゃい」などと言っていたのに、デッサンが中止になったにも関わらず、「そのことか」、それはないだろう。
「デッサンが中止なら、僕はこれで」
面白くない雄介が席を立とうとすると、「いやいや、ごめん、ごめん」と町田が右手を上げ、「今日はもっと大事な用事があるんだ」と言って、テーブルに書類を広げた。
「雄介君、これが君との契約書だ」
「えっ、契約書?」
「そうだよ、プロなんだから、口約束じゃまずいだろう?」
何も知らない16歳。
そう言われれば、舞い上がってしまう。
雄介は「は、はい」と差し出された複数の書類に中身の確認もせずにサインをしてしまった。
(続く)
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