私たちの結婚-第2話
作家名:バロン椿
文字数:約3100文字(第2話)
管理番号:r701
主人も「よっぽどのブスでなければいいや」と思ってたそうです。
そしたら、色白のぽっちゃりした女の子で、「これなら丈夫な子供を産んでくれる」と確信したそうです。
失礼ですよね。
〝下町小町〟と呼ばれた私に向かって。
えっ、誰も知らない?
あははは、ウソだと直ぐに分かっちゃいますね。
まあ、ともかく、私たち当事者同士も、双方の両親も気に入り、正式に結婚へと話がまとまりました。
それからは大変でした。
仲人さんを頼んで結納、式場探しに嫁入り道具の買い揃え。
お見合いしてから結婚まで10ケ月ありましたが、あっと言う間でした。
ですから、二人だけでデートしたのはたったの4、5回です。
えっ、いくら忙しくてもキスしたり、行くとこまで行ったんだろうって?
全く、何も分かっていないのね。
そうね、今のあなた方には理解できないでしょうが、結婚までは男性は童貞、女性は処女、これが当たり前でした。
勿論、私は処女でした。
「お互いに身も心も純潔であるべきで、婚約期間は、二人の間に愛情と理解を成熟させていくべき時期で、それが十分に成熟した時期に結婚が行われ、初夜を迎えるのです。」
結婚相談所ではこのように教えていましたから、デートしても手を繋ぐのが精一杯。
キスもしたことがありませんでした。
まして・・
ふふふ、でも「お勉強」はしっかりしていました。
結婚が決まったと社内で公表されると、「これ、読んでおきなさい」って、先輩がドクトル・チエコさんの「結婚のカルテ」、「愛と性の知恵」をそっと貸してくれたのです。
どこにでも、いつの時代でもいらっしゃるんですよ。
お世話好きな方が。
でも、一番役に立ったのは、結婚式の前の晩に母が教えてくれたことです。
「いいかい、貴恵。明日の晩は、夫婦になるための儀式だから、敬一さんに任せて、お前は横になっていればいいんだよ」
「お母さん…」
「痛くても我慢するのよ。じっとしていれば、そのうちに終わるから、心配しなくていいんだよ」
布団を並べて二人で寝ていましたが、朝まで母の手を握っていたように覚えています。
嬉し恥ずかし初夜
翌日は緊張の連続でした。
朝早く起きた私はお風呂に入って体を清め、お化粧して、支度が済むと、両親に挨拶です。
「長い間、お世話になりました。これから参ります」
これだけ言うのが精一杯でした。
この後、神前での結婚式、披露宴と続き、最後に「これから新郎新婦は午後4時の列車で箱根方面に2泊3日の新婚旅行に出発します。この新しい門出に、皆様、拍手を持って送って頂きとうございます」と全て終わったのが午後3時でした。
午後4時、東京駅で皆に万歳三唱で見送られ、湘南電車(当時、東海道本線の東京駅 – 熱海駅・沼津駅間を走る中距離電車の通称)が出発すると、正直ほっとしました。
でも、本当の緊張はこれからでした。
親元を離れ、初めて二人きりで旅行。
無意識のうちの、私はガチガチになっていました。
「小池さんですか?」
「はい」
午後6時頃に箱根湯本に着くと、旅館の番頭さんが迎えに来てくれました。
「可愛いお嫁さんですね」
宿帳を持ってきた仲居さんが、座布団に座ったまま、身を硬くして俯いていた私を見て、そう言っていたのを覚えています。
食事が終わり、仲居さんが片づけにきました。
「お布団、お支度しておきますから、その間にお風呂にいってらっしゃい」
私たちは着替えを持って大浴場に行かされました。
「体をきれいにしておくのよ」
母に言い含められていましたので、石鹸を付けて洗いました。
「お帰り」
お部屋に戻ると、浴衣を着た主人が待っていました。
既に座卓は片づけられ、そこに布団が二組敷いてありました。
「こっちにおいで」
「は、はい」
蚊の鳴くような声です。
主人が差し出した手を握ると、そのまま、ぎゅっと引っ張られて、主人の懐に抱きしめられました。
「あ、け、敬一さん……」
私は慌ててしまいましたが、主人はそのままキスしてきました。
レモンの味だとか、いろいろ言われますが、そんなことは覚えていません。
ただ、唇が柔らかくて、頭がぼーとして、力が抜けてしまいました。
あ、イヤだあ、こんなことまで喋らされて。
ふふ、顔が赤くなっちゃった。
お茶でも飲まないと、恥ずかしくて、ゴクッ、ゴクッ……
えっ、どうだったかって?
バカ!痛いに決まってるでしょう。
後で比較したら、お産の方がもっと痛かったけれど、その時は、もう二度としたくないと思いました。
本当に。
でもね、翌朝、目が覚めた時、主人はまだぐっすり眠っていたのよ。その顔を見ていたら、主人が「おはよう」って。
そしたら、「貴恵、よかったわね。敬一さんと夫婦になれたのよ」って母の声が聞こえて、嬉しくなって主人の胸に抱きついちゃいました。
ははは、まあ、恥かしい。
新婚生活の思い出
それで新婚旅行から帰ると、新居での新婚生活でした。
新居といっても2階建ての木造アパート。
4畳半一間に小さな流しとガスコンロが一つ。
トイレは共同でした。
向こう三軒、両隣
よく言ったものですね。
夕方になると、「これ、多めに作ったから食べなさい」と同じアパートの人たちがおかずを持ってきてくれたり。
だから、ドアの鍵なんか掛けられません。
壁も薄く、隣の部屋のテレビの音が聞こえてきました。
プライバシーなんかありません。
でも、本当に助かりました。
結婚して2年目に子供が生まれましたが、しょっちゅう実家に帰る訳にはいきません。
子育てなんか分からない私を隣のおばさんが助けてくれました。
「貴恵ちゃん、私はおんぶしててあげるから、ちょっと横になりなさい」
赤ちゃんに毎晩泣かれ、寝る間も無い私に1時間ぐらい昼寝をさせてくれました。
あのおばさんがいなければ、育児ノイローゼになっていたかも知れません。
そうそう、お風呂ね。
お風呂は歩いて5分のところにあった銭湯。
銀行員の主人は帰りが遅くて、殆ど営業時間ぎりぎり飛び込んで、時には従業員と一緒に仕舞い湯に浸かったと言ってました。
そして、結婚5年目、二人目の子供がお腹にいた時、都営住宅に当たりました。
39平米、6畳、4畳半、3畳と全て和室の3DK。
台所、それに小さいけれど玄関がついて、トイレは水洗!お風呂までありました。
私の両親が来ても、主人の両親が来ても泊まっていける。
森村桂さんの「天国に一番近い島」って小説がありましたが、私にとっては、ここが天国でした。
団地族
こんな言葉があったように、昭和30年~40年代の高度経済成長期、団地住まいはみんなの憧れでした。
その後、主人がちょっと偉くなって、この家を建てた時も嬉しかったけれど、あの都営住宅は、それとは違う喜びでした。
「お、おーい」
「はあーい、今、行きます」
主人が呼んでますから、ちょっとごめんなさい。
記憶は大切な宝物です
すみませんでした。
アルツハイマー病にかかって10年、症状が進んでしまい、もうよく分からなくなっているんです。
でも、手を握ってあげると、「おお、お前か」と笑ってくれるんです。
もう名前は忘れてしまったので、「貴恵」とは呼んでくれませんが、嬉しいですよ。
結婚して52年、主人は79歳、私も76歳になりました。
あと何年一緒に暮らせるか分かりませんが、その時まで、穏やかに過ごしていたいと思います。
あらあら、もうこんな時間なのね。
そろそろお買い物に出掛ける時間なので、よろしいかしら。
はい、じゃあ、これで。
初夜の話なんかしちゃって、恥かしかったけれど、あの人に抱かれた時の温もり、初めてのキス、ふふふ、絶対に忘れません。
私にとって、主人との思い出、記憶は本当に大切な宝物です。
結婚して本当によかったと思います。
今日は色々と思い出させて下さって、本当にありがとうございました。
(続く)
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