語られぬ昭和史-第6話
ほんの少し前だったのに、既に「昭和」は懐かしい響きになってきました。
以前、筆者は「歴史秘話―ある素封家の没落」というものを本サイトに発表しました。
今回は昭和に起きた3つの事件について、その裏側で起きていた男と女の話を交え、「語られぬ昭和史」として発表させて頂きたいと思います。
オイルショックとマルチ商法(昭和48年(1973)~昭和50年(1975))
脱炭素社会、そんなことが叫ばれていますが、今から50年前、最大のエネルギー源は石油でした。はるか遠い、中東で起きた戦争等のため、正常に供給されない事態になってしまいました。
そんな不安定な社会では、詐欺話が起きるものです。これは、その一つである「マルチ商法」に翻弄された男の悲劇を中心に描きました。
作家名:バロン椿
文字数:約3270文字(第6話)
管理番号:k121
3.オイルショックとマルチ商法ーその裏側では
甘い誘い
競艇場はギラギラした目付きの男たちで溢れていた。
「おーい、5番、お前のエンジンが一番なんだぞ。絶対勝てよ!」
「ダメだ、ダメだ。あいつに懸けたって」
「静かにしろ!スタートじゃねえか」
真田正男は連日通っていたが、ツキもなく、負け続けていた。
「うまくいきませんな」
「何だ……あ、いや、あんたか」
声を掛けてきたのは競艇場仲間の飯尾(いいお)誠二(せいじ)だった。
「ちょっと出ませんか?」
「ああ、いいよ。気分転換だ」
二人は場外の喫茶店に入ると、それぞれコーヒーを注文した。
「やっぱりガソリン不足ですか」
「どうしようもないよ」
真田がタバコを咥えると、飯尾はさっとライターを差し出した。
「すまんね」
シュポ、シュー……
「ふぅー」
「うまいですなあ……」
そこにウェイトレスがコーヒーを運んできた。
「ミルク、少しでいいから」
「俺はブラック」
ウェイトレスはミルクを差し終えると、「ごゆっくり」と伝票を置いて戻っていった。
「飯尾さん、いつも、いい背広を着ているけど、会社でもやっているの?」
飯尾と知り合った頃、自分は個人タクシーの運転手だと名乗ったが、相手の職業など聞いたことはなかった。
「私?ははは、そんな大した者ではありませんよ」
彼が差し出した名刺には「自動車用品卸元 飯尾誠二」とあった。
「自動車のディーラー?」
「まあ、その取りまとめみたいなものですが、簡単に説明しましょう」
彼の話を掻い摘んで言えば、こうだった。
会員制の自動車販売会社だが、入るためには権利金を支払う必要がある。でも、それを支払えば、誰でもディーラーとして商売ができる。それに、別の会社に勤務していても構わないから、真田のような個人タクシー運転手の副業に適している。
全体の組織はディーラー、その上がマネージャーで、卸元、総卸元と偉くなる。
「じゃあ、飯尾さんは偉いんだなあ」
「何を言っているんだ、真田さん。私の様な学歴も何も無い者だって、卸元になれるんだ。やる気があれば、あなただって直ぐに卸元になれる」
元々、真田は山っ気が多い方だった。それが、ガソリンスタンド巡りに汲々としている。「あなただってなれる」と飯尾に煽られたら、「本当に俺にもできるのか」と食いついてくる。
そんな〝カモ〟を飯尾が逃す訳がない。
「一応、個人事業主の形なので、販売する商品は個々人が仕入れ値で買い取り、マージンを乗せて客に売る、単純な方式です。最初はディーラーですが、新規会員を2人集めればマネージャーになれる。そうすると、会員一人当たり5,000円のスポンサー料が貰える。だから、どんどん会員を増やすんです。そして、手先となるディーラーが多くなれば、彼らの売り上げも一部はマネージャーの収入となります。簡単でしょう?」
この類の話で、「簡単でしょう?」と言った時、それは詐欺まがいのものであることが多い。だから、「あなたも参加しませんか?」と誘われても、「結構です」と断るものだ。だから、真田も「しかし、そんなに上手くいくかな」と疑った。
だが、飯尾はKENTを取り出し、真田に一本勧めると、「こんな石油不足の世の中、稼げる時に稼がないと」と言って、旨そうに、タバコをふかす。そして、「勝ち馬に乗るんですよ、真田さん」と揺さぶる。
「勝ち馬か……」とKENTを咥え、迷う真田に、「よし、決まった。景気づけにトルコ(現:ソープランド)に行きましょう。心配ない。私の招待ですよ」と強引に押し切ってしまった。
悪銭、身につかず
出だしは良かった。
「は、あ、ありがとうございます」
受話器を持ったまま頭を深く下げる真田の隣では、飯尾が旨そうにケントを吹かしていた。
「また取れましたよ」
「ははは、さすがですな」
「いや、飯尾さんのおかげです」
「これは見込みがありますよ」と飯尾に数人のお客を紹介され、その中から「お願いします」と続けざまに返事をもらい、約束通りに、本部から「真田マネージャー」と言われ、スポンサー料も振り込まれ、懐は潤った。
そうなると、馬鹿な男は女に走る。
「あら、いらっしゃい。ご贔屓にありがとうございます」
それまでは赤提灯が多かった真田だが、ちょっとした門構えで、それを潜ると青いものが植わった小庭もある二階建ての構えの、こぎれいな居酒屋「あけぼの」に通うようになっていた。
酒も料理も旨いのはもちろんだが、お目当ては女将の房子だった。落ち着いた色の着物、顔立ちは歌手の石原詢子さんに似ている。真田は一目見たときから「この女だ」と惚れ込んでしまった。
しかし、この店に来るほとんどの男たちの目当ては彼女。口説くことは難事中の難事だが、「勝負だ」と真田はある夜、帰り際、周りに他の人がいなかったので、女将の肩を抑え、ぎゅっとキスをして、そのまま店を出たが、翌日、「こんばんは」と店を覗くと、「あら、いらっしゃい」と、女将の房子が何事も無かった様に迎えてくれた。
それで自信を持った真田は次に行った時、わざと飲み過ごし、閉店時間になっても居座り続け、女将が「もう皆さん帰っちゃいましたよ。真田さんも、帰ってください」と近寄ってきたところを、「女将っ……」と強引に小上がりに押し倒し、唇を重ねてしまった。
後は勢い。
キスの雨を注ぎながら、着物の前を開き、こんもりした陰毛と、真っ白い太股の肌が目に付くと、いきなり陰毛の下部に、口を持っていった。
「いやよ、真田さん、そんなこと」と抵抗するが、脚を開かせ、くすんだ小陰唇を舐め回すと、次第に女将は、「あ、あーん、あーん」と声を出し始め、その声は急速に高まる。真田も無我夢中で、慌ててズボンとパンツを脱ぎ捨てると、彼女の腹の上へ乗り掛かって、亀頭の先をパックリと口を開けた膣口にあてがうと、一気にペニスを根元まで挿入していった。
「あ、あぁぁっ、いい、いいわ、いわよ……あ、あ、そ、そこ……いい、いいわ……」
意外な悦びに喘ぐ房子の声、真田の腰の動きも早まり、「お、女将っ!」と太い声を出して応じる。
その夜、二人は店の外まで聞こえていたかも知れないことなど忘れ、天国に昇っていた。
「おい、あれ、真田さんじゃないか?」
「あ、本当だよ、真田さんだ」
しばらくして、中山競馬場に出かけたタクシー仲間が色白の熟女を連れた真田を見かけた。
「何でも新しい商売を始めたって話だ」
「そうか。それでさっそく女か」
「『悪銭、身につかず』っていうけど、失敗しなければいいけどな」
仲間が見ていることに気がついたのか、気がつかなかったのか、当の真田は「ははは、当たったよ!」とご機嫌だった。
地道が一番
遠い中東での出来事の影響をまともに受け、大混乱に陥った日本だったが、政府は三木副総理を急遽、特使として中東諸国に派遣し、石油輸入の道を確保するとともに、国内では昭和48年(1973年)12月、国民生活安定緊急措置法、石油需給適正化法を制定し、この事態を乗り切ろうとした。
国民も自主規制、自粛の生活に慣れ、苦しいながら昭和49年(1974年)には「なんとかなりますね」と次第に落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、行ってくるよ」
「あなた、頑張ってね」
「お父さん、いってらっしゃい」
桜の便りが聞こえる暖かい日差し。木村洋二は女房と娘に見送られ、今日も愛車のハンドルを握る。
その一方、「マルチ商法、被害者多数」、「深刻な社会問題化、急がれる法整備」などの記事が新聞紙面を賑わしていた。
夕方、個人タクシー仲間が集まる喫茶店に入ると、「どうだった?」、「ぼちぼちだなあ。」とまだまだ売上は伸びないものの、「娘が高校に」、「倅が大学に受かって」など明るい話題が多くなっていた。
「やっぱり倒産したよ」
木村が開いた夕刊には、「ついに倒産、マルチ商法の限界。出資金は戻るのか?」と大きく書かれた記事が載っていた。
「ああ、それか。当たり前だよな。他人を騙して儲けようなんて、神様が許す訳がない」
「地道にやらないとダメだよ」
仲間たちはコーヒーを飲みながら、そう言っていたが、かつての仲間、真田がその加害者兼被害者として、その渦中にあることは誰も知らなかった。
(終わり)
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