我愛你-第1話 3260文字 バロン椿

我愛你-第1話

39歳の主婦、高木弥生は4つ年上の夫、壮一、一人息子で中学一年の智之と小田急線新百合ヶ丘の一戸建てにつつましく暮らしていた。
だが、大学の先輩、大手商社に勤める寺田麗子の昇進祝いの会で、中国からの研修生、27歳の王浩と出会ってから、人生がガラッと変わってしまった。
王は優しく、かつての夫のようにグイグイと引っ張ってくれる。そんな王と男女の関係になった弥生は彼とは離れられなくなっていた。
編集注※「我愛你」は中国語で (あなたを愛しています)の意味

作家名:バロン椿
文字数:約3260文字(第1話)
管理番号:k098

平凡な家庭

もう少しでコートが要らなくなる2019年3月。午前7時、小田急線新百合ヶ丘の住宅街では妻や子供たちに見送られ、夫らが足早に駅に向かう。
高木(たかぎ)弥生(やよい)と夫の壮一(そういち)もその中の一組。
「じゃあ、行ってくるから」と渋谷にあるソフトウェア会社に通う夫が小さく手を上げると、「はい、行ってらっしゃい」と弥生は微笑んで送り出す。

結婚して14年。弥生は39歳、夫は4つ年上で、背丈が180センチ。158センチの弥生からすれば見上げる程の大柄。知り合った頃は快活なスポーツマンだったが、30歳を過ぎた頃から仕事が忙しくなったこともあり、今ではその面影が薄く、家に居る時は出掛けもせず、リビングのソファーに腰掛け、テレビを観るばかり。弥生にはそれが不満だ。

二人の間には中学1年、13歳の息子、智之(ともゆき)がいる。彼は若い頃の父親に似て、スポーツが大好き。中でもサッカーに夢中で、スクールにも通っている。しかし、
「智之、起きなさい」
「まだいいでしょう……」

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「7時過ぎよ、遅刻するでしょう!」
と、どこの家庭でも見受けられるように、寝起きが悪い。そして、起きてくれば、「顔を洗って、歯を磨いて」と母はせっつくが、「うるさいなあ」と直ぐに膨れる。しかし、学校に出掛ける間際になると、「あれ、体操着は?」等、泣き出しそうな顔をして騒ぎ出す。

でも、元気がなにより。だから、「行ってきます!」とカバンを抱えて出て行くと、ほっとする。
それからは主婦の時間。朝食の後片付け、掃除、洗濯と、午前中はやることが沢山あるが、誰に邪魔されることもないから、気持ちは楽。それに、スマホがあるから、LINEだのFACEBOOK、INSTAGRAM等、各種のSNSを使った楽しみは、洗濯等をしながらでもできる。

今朝もさっそく、ピコピコと着信ランプが灯り、「昨日のドラマ、見た?」とグループ・トークが始まった。
「見た、見たわよ!」と先陣を切って返信する者、「あれって、話の展開が変じゃない?」と注文をつける者等、みんなが競ってメールを送り合うが、弥生は消極的とは言っては何だが、受け身に回る性格だから、それらを読んでは、もっぱら「ふふふ、そうなのかなあ……」と感心している方だ。

山梨県甲府市で生まれ育った弥生は、小さい頃はとてもお転婆で、「弥生ちゃんは色が真っ黒」と言われる程に毎日、男の子に混じって遊んでいた。しかし、小学校高学年になると、成績が良かったことから、クラスの前で「弥生ちゃんを見習いなさい」と先生から言われようになると、そんなお転婆は影を潜め、「お行儀の良い弥生ちゃん」になっていた。

そして、中学生になると、メガネをかけたことから、「ブスの弥生」と渾名され、すっかり受け身の性格に変わっていた。
今はコンタクトレンズを愛用し、ブスでもないのに、トラウマと言っては大袈裟だが、「私はブス」という意識が抜けず、LINE等もそうだが、「私はいいの」と他人に譲ってしまいがちである。

夫との馴れ初め

そんな弥生だから、大学で英文科に進んだものの、合コンで声を掛けられても、「いいえ、私は……」と、何度もチャンスを逃していた。
そんなことだから、周囲では、「えっ、キスしたの!」と驚いたり、「怖かったわ……」と際どく成果を自慢したり、内緒話の輪が出来ていたが、弥生はどれにも加われなかった。

見かねた同級生の金子(かねこ)めぐみが「ねえ、どう?」と何人か紹介してくれたが、どれも恋らしい恋には発展しなかった。
そして、就職となったが、弥生はそのまま高校の英語教師に。一方、金子めぐみは弥生とは正反対に何事にも興味旺盛で積極的だから、同じく英文学を学んだのに、「コンピュータが好きなの」とソフトウェア会社に就職した。

だが、それが〝功を奏した〟というか、夫との出会いに繋がるから面白いものだ。
教師になって2年が経ち、翌年度から担任をもつことになった弥生は嬉しくて、「私、担任を持つようになったのよ!」とめぐみに電話した時、「そう。それなら、恋人も作らなくちゃ」と紹介してくれたのが、今の夫で、当時は、めぐみの職場の先輩だった。

「あの、高木です」
初めて会った時、こう言って挨拶する夫は背が高くて、テニス焼けした、ちょっぴりイケメン。弥生も「み、三浦(旧姓)です」と挨拶したものの、頬が赤らみ、ぽうっとなっていた。

後で金子めぐみが言っていたが、それを見ただけで、「あ、これは結婚するな」と思ったそうだ。
その予感通り、翌週には初デート。そして、5月の爽やかな日。広尾の有栖川公園を歩いていた時、チュッチュッという小鳥にさえずりが、高木は気持ちが抑えられなくなり、弥生の手を掴むと、木陰に引き込み、そこで「や、弥生さん」と強引に唇を重ねてきた。

「あ、いや、壮一さん……」
初めての口づけは甘いというより、無我夢中、気が付くと弥生は彼にしがみついていた。
でも、あれは怖くて、一度なんかは新宿のラブホテルまで僅かなところで、電柱に掴まり動けなくなってしまった。

「どうしてなんだよ?」
「怖い……」
「そんなこと言ってたら」
高木は強引に手を引いて連れて行こうとしたが、弥生は自販機の脇に逃げ込んでしまった。

彼は「24にもなって」と苛立ったが、弥生はダメだった。
だが、そんなことも障害にはならず、トントン拍子に話が進み、半年後には婚約。「先生は辞める」と報告する弥生に、「それにしても速いわね」と金子めぐみの方が驚いていた。

翌3月、25歳の弥生は29歳の高木壮一と結婚式を挙げ、その式場の隅で、「本当にありがとうございました」と、実質的な「仲人」だった金子めぐみは弥生の母親から感謝されていた。

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そして、ハワイへの新婚旅行に旅立ったのだが、あまりにトントン拍子に進んだため、弥生は処女のままだった。だから、ワイキキのホテルで初夜を迎えた時、ガチガチに緊張し、「あ、あなた……」と震え、その瞬間は「い、痛っ、痛い……」としがみついていた。

旧友の誘い

4月、つつじが咲き揃い、とてもさわやかな水曜日。そろそろ買い物に行こうかなと思った午後3時。弥生のスマホがブルブル、ブルブル……とバイブレ―ションとともにアルコー、アルコーとトトロの着信音が鳴った。
「はい、高木です」と出ると、「ごめんなさい、忙しいところ」と明るく優しい声が聞こえてきた。そう、金子めぐみだ。

「主婦は暇だから」と答えると、「ドラマにはまっているのかと思ったわ」と笑い声が返ってきた。
「お仕事中でしょう? そんなに大きな声で笑ったら、周りから変な目で見られるでしょう」と心配すると、「コーヒーブレイクよ」と。38歳の彼女を注意する人はいないのか?まあ、そんな堅苦しいことはどうでもいいこと。

「どうしたの?」
「あ、そうそう、肝心なことを伝えなくちゃ。あのね、麗子さん、次長さんになったんだって」
「本当? 凄いわね。やっぱり麗子さんね」

二人が言う「麗子さん」とは、寺田(てらだ)麗子(れいこ)のことで、英文学科の2年先輩での40歳。独身で大手商社のキャリアウーマン。その上、背が高くすらりとして美人と言っても良い容姿でアラフォーには見えない。

「それで、皆でお祝いしようって、今、今井さんと相談したところなのよ」
「えっ、今井さん?あれ、ロンドンじゃないの?」
「1月に帰ってきたのよ」

「今井さん」とは1学年上の今井(いまい)洋子(ようこ)のこと。ご主人はメガバンクにお勤め。自己主張が強く、弥生は苦手だった。でも、主役の麗子さんは大好きな先輩。お祝いの会は大歓迎だった。
「じゃあ、詳しいことは連絡するね」と金子めぐみからの電話は切れた。

その夜、帰宅した夫に「麗子さん、次長さんになったんだって」と話したが、「ああ、そうか」と関心が無い様子だった。彼は大きなプロジェクトの責任者なので仕方がないのかも知れないが、少し寂しかった。

「それで、今度、お祝いの会をするんだけど」
「ああ、行っておいでよ」
まあ、とやかく言わないところは逆に都合がよかった。

(続く)

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