闇の男-第13話 3070文字 バロン椿

闇の男-第13話

日本の夜の世界を支配する男、武藤甚一(じんいち)と、それに立ち向かう元社会部記者、「ハイエナ」こと田村編集長らとの戦いを描く、官能サスペンス長編。

作家名:バロン椿
文字数:約3070文字(第13話)
管理番号:k077

次なる失踪

その頃、東京では大きな騒ぎになっていた。
美智代の母、和子(かずこ)は子供を預けたまま家に戻らなくなった娘を心配して、「警察に届けましょう」と娘の夫、根岸に迫ったが、町田から因果を含められていたので、「心配ない」とか「今は忙しい」とはぐらかして、何も動かなかった。
だが、既に2週間。ついに和子がぶち切れた。

「美智代はどこに行ったのよ!」
「お、お母さん、大騒ぎしないで」
「何言ってんのよ!もう2週間も帰ってこないどころか、電話もないのよ。何が大騒ぎしないでよなの。もう我慢できない。これから警察に届けるから」
また、雄介の方も母の美幸(みゆき)が警察に相談に行ったが、「夏休み明けの単なる家出ですね。直ぐに戻ってきますよ」と取り合ってくれなかった。

こうなると、矛先は世津子に向けられる。
「世津子さん、あなたが誘ったのよ」
美幸は世津子に詰め寄り、世津子は父、橋本誠之助を問い質したが「俺はもう関係ない。あいつとは3ケ月も会っていない」と、最後はアトリエに鍵を掛けて閉じ籠ってしまった。
確かに雄介は6月頃からこのアトリエには来ていない。

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「どうなっているのよ!」
不安と苛立ちから、美幸の感情は爆発寸前になっていた。
雄介が帰ってこなくなって2週間、殆ど寝てない彼女の目は赤く充血している。
「ちょっと気になるところが」
「どこなのよ!」
「ま、待って、美幸さん」

町田のところがあやしいのは分かっているが、彼は父、橋本誠之助の支援者。
確証のないまま警察に届け出て騒ぎ立てたら、美術界に隠然たる影響力を持つ町田が黙っている筈がない。
下手をすると、世津子だけでなく、父の誠之助も美術界から葬り去られてしまう。
まずは、自分が町田に会って確かめようと世津子は考えた。

「私、調べてくるから、少し待って下さい」
「いつまで待てって言うのよ!」
「夜までには必ず電話するから」
「わ、分かったわよ」
苛立つ美幸も渋々納得して帰って行った。
だが、世津子から電話が掛かることはなかった。

拉致

世津子がアートギャラリー・マチダを訪ねると、ちょうど町田を乗せた車が出て行くところだった。
「町田さん、ちょっと」と手を上げたが、彼はそれを無視して走り去ってしまった。
彼は気がつかなかったのか、振り向きもせず、車はそのまま走り去って行った。
(無視する気なのね。逃がすものですか……)
世津子はタクシーを捕まえると、「前の車を追って下さい」と乗り込んだ。

「どうしたんですか?」と運転手は訝しげに聞いてくるが、「浮気よ」と答えると、もう何も聞かなかった。
追いかけて10分程、町田の車は大通りを左折し、脇道に入り、一軒の旅館の前で停まった。
「あっ、停まって」と世津子が声を出すと、「やっぱり」と運転手は頷いていた。
浮気調査だと信じ込んでいる。
世津子は、町田が脇の木戸を開けて、その旅館に入るのを確かめてから、タクシーを降りた。

旅館の名前は「三益」。
近づいて、木戸の隙間から中を覗くと、木々に囲まれた平屋建ての離れが見える。
もっと良く見ようと木戸に手を掛けた時、背中で車の停まる音が聞こえた。
(あっ、いけない……)
振り向いた世津子は慌てて、そこから離れようとしたが、「あんた、何をしているんだ?」と、その車から降りてきた、良からぬ風体の男たちに取り囲まれてしまった。

「あの、知り合いが中に入ったので」
「知り合いって誰だ?」
冷たい目をした180cmはあろうかと思える大きな男が木戸の戸柱に手を突き、圧し掛かるようにして世津子に迫ってきた。
「ま、町田さんです」と声が震えていたが、逃げ場がない。
「どんな知り合いだ?」

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「私の絵の教え子が町田さんのお世話になっているので」
「それで?」
「その男の子が町田さんのところに絵の勉強にいって、それから帰ってこなくなったので、聞いてみようと思って」
世津子は膝が震えていたが、その時、高級外車が静かに近づき、横に停った。
そして、窓が開き、「何をしているんだ?」と中から低い男の声がした。

「あっ、すみません。実は……」
世津子を取り囲んでいた男たちの1人が窓に近寄り、小さな声で世津子とのやり取りを説明すると、「そうか。分かった」とドアが開き、高価なスーツを着た、黒縁のメガネを掛けた男が降りてきた。
「若い者が失礼しました。お困りのこと、ご説明させて頂きますが、ここでは何ですから、車に乗って下さい」

怖そうな感じがするが、言葉使いは極めて丁寧。
世津子は一刻も早く、この場から離れたかったが、やっとのことで掴んだ手掛かりを失いたくない。
怖さを我慢して、「お願いします」と後部座席に乗り込んだ。

スモークガラスで外からは見えないが、車内は革張りのシートで、ゆったりとしている。
走り出した車は旅館「三益」から離れて行く。
世津子はまだ膝が震えていたが、「川島雄介君のことですね」といきなり男が切り出してくると、怖さを忘れ、「彼、彼は今、ど、どこにいるかご存知ですか?」とその男に迫った。
だが、「まあ、落ち着きなさい」と押し止められた。
そして、懐からタバコを取り出すと、「彼は絵をやめました」と言って、それに火をつけた。

「う、ウソでしょう!」
世津子は思わず、大きな声を出してしまった。
確かに絵画展のパンフレットで見た絵は全く雄介の画風ではなかったが、あんなに絵が好きな雄介が、絵を描くのを止めるなんて、にわかには信じられない。

「まあ、そうでしょう。絵画教室に通っていた者が急に絵を止めるなんて、信じられないことでしょう。だが、本当なんですよ。『役者になりたいという若者がいるのだが、どうしたらいいものか?』、私も町田さんからそんな相談をされ、戸惑いましたよ」
タバコを吹かしながら、そう話す男の目はとても冷たく、口答えを許さぬような威圧感があった。

世津子は「そんなバカな」という言葉を飲み込み、「本当に彼が役者になりたいと言ったのですか?」とできるだけ感情を抑えて訊ねたが、「私がウソでもついているとでも言うのですか?」と聞き返されると、「い、いえ、そんな……」と答えるのが精一杯だった。
車内の他の者は誰も言葉を発しない。
睨むでも、凄むでもないのに、気圧されるような圧力を感じる。

「これから、彼のいる稽古場に連れて行ってあげますから、ご自分の目で判断して下さい」と男は言ったが、世津子は本当に怖くなってきた。
「町田さんは危ない人だから気をつけなさい」
いつも雄介に言っていたことだ。
世津子も町田の本当のことは知らないが、闇の世界と繋がりがあると何人もの美術関係者から聞かされていた。

(まさか、この男が……)
横目でチラチラと見るが、髪を短く刈り込み、とても一般人とは思えない迫力がある。
ふと気がつくと、車は先程から同じところを廻っている。
世津子は怖くて怖くて、震えが止まらない。
間もなく、車はビルの地下駐車場に滑り込んで、停まった。

「ついて来なさい」と男が降りたが、世津子は足がすくみ動けない。
「しょうがねえな」と助手席から降りてきた若い男に引きずり出された。
そして、待っていたエレベーターに乗せられ、1階、2階と静かに昇っていくが、まるで「死刑台のエレベーター」だった。

最上階で停まると、「こっちだ」と男に指差された部屋に足を踏み入れた瞬間、バチバチッと激しい痛みが全身を貫き、世津子はその場に膝から崩れ落ちるように倒れてしまった。
「た、助けて……」と叫ぼうとしても、痛みで大きな声が出ない。
「殺したりしないから、安心しな」と若い男が嘲っていたが、頭から黒い袋を被されると、意識が遠退き、後は何も覚えていない。

(続く)

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