現代春画考~仮面の競作-第1話 2890文字 バロン椿

現代春画考~仮面の競作-第1話

その話は、日本画の巨匠、河合惣之助の別荘に、悪友の洋画家の巨匠、鈴木芳太郎が遊びに来たことから始まった。
本名なら「巨匠が何をやっているんだ!」と世間がうるさいが、仮名を使えば、何を描いても、とやかく言われない。
だったら、プロのモデルじゃなく、夜の町や、それこそ家政婦まで、これはと思った女を集ろ。春画を描こうじゃないか。

作家名:バロン椿
文字数:約2890文字(第1話)
管理番号:k086

きっかけ

5月、五月晴れの素晴らしい天気。日本画の巨匠、河合(かわい)惣之助(そうのすけ)の別荘には、先月、美術界から引退を宣言した洋画家の鈴木(すずき)芳太郎(よしたろう)がマネージャーの岡田(おかだ)茂(しげる)を連れて遊びに来ていた。

「河合、何か面白いことはないか?」
「どうした?引退宣言をしたら、途端に描きたくなったのか?」
「岡田にせっつかれることはなくなったが、暇だとどうも落ち着かん」
「まあ、そんなもんだ、人間てのは。ははは」

テラスでワインを酌み交わす二人のところに岡田が新しいワインボトルを持ってきた。
「ブルゴーニュの99年物です」
「えっ、こんな高いものを。おいおい、鈴木。えっ、これいいのか?」
「飲むからこそ、作った人も喜ぶんだ」

「しかし、本当にいいのか? 手土産ってレベルじゃないな。やっぱりお前は洋画家だな」
「そんなことでご機嫌を取ろうったって、ダメだぞ。まあ、いい。とにかく飲もう。おい、岡田。お前もどうだ?」
「あ、いえ、私は」

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「ははは、岡田君、遠慮することはないぞ。君がいないところで、君の悪口を言ってたところだ」
「河合先生までそんなことを吹き込まれているんですか?」
「ははは、そう言うな。まあ、お前も飲め」

酒を飲んでも、二人の頭から絵のことが消えることはない。これは絵描きの性だ。
「どうだ、最近の若手たちは?」
「才能のある者は沢山いるが、どうも小さい。何だ、こいつは!と思わせるようなとんでもない絵を描く者がいない」

引退宣言した鈴木芳太郎はこう嘆いたが、河合惣之助はそれをからかった。
「鈴木、お前が上品過ぎたからだぞ。〝巨匠 鈴木先生〟がこんな絵も描くんだ!ってな、例えば女が大股開きの、凄えのがあったら違っていたんじゃないのか」

「ははは。描きたかったけど、〝巨匠〟なんて言われちまうと、どうもな。だけど、それは河合、お前だって同じだろう」
「ははは、違うんだな、日本画は。洋画と違って、俺たちは屏風絵を描きながら、それを遊び心で襖絵にしたり、別に名前を使って浮世絵、それこそ春画を描いて遊ぶことがあるんだ」

それを聞いた鈴木画伯のワイングラスを持つ手が止まった。マネージャーの岡田もピンと来ていた。そして、互いに顔を見合わせ、
「仮名だ!」
「そうですよ、仮名ですよ!」
「仮名で浮世絵や春画を描くんだ!」
と叫ぶと、二人は一気にグラスのワインを一気に飲み干した。

「おいおい、どうした?変なことでも浮かんだか?」
河合画伯も感づき、ニヤニヤ笑っていたが、鈴木画伯の顔には気力がみなぎっていた。

「先生、久し振りですね、そんな顔は」
「当たり前だ、岡田。画壇の評価がどうだとか、締切がどうだとか、関係ない。鈴木芳太郎なんて名前が邪魔なんだ。別の名前で面白い絵を好きな時に描くんだ。こんな嬉しいことは無いぞ」

楽しいことに乗り遅れてはいかん。
河合画伯が「俺も仲間に入れろよ」と割り込んできたが、ポン友の申し入れを断る奴はいない。

「当たり前だ。お前がいて、俺がいる。よし、河合、じっくりと構想づくりだな。それに合わせてモデルの調達だ。岡田、頼むぞ」
「ははは、いいですよ。それじゃあ、前祝ということで、もう一本、飲みますか」
初夏の日差しは心地よい。「あれだ!」、「いや、これだ!」と三人の作戦会議は夜遅くまで続いた。

頭の痛い問題―岡田の場合

一夜明け、事務所に籠った岡田はメモ書きを見ては「ふぅー」とため息ばかりついていた。
(飲んだ勢いとはいえ、こんなモデルを集められるか……)

熟年夫婦:夫、50歳後半のスケベな爺、大店の旦那のイメージ
妻は50歳前半の美熟女、大奥様のイメージ、
若夫婦 :夫、30歳代半ば気の弱いサラリーマン、婿殿のイメージ、妻は30歳前後の気の強そうなインテリ美人、
我儘な大店の一人娘のイメージ

間男  :30~40歳の職人タイプの男
未亡人 :40歳前後のさえない主婦のイメージ
少年  ; 野球部、サッカー等、運動部の高校生
浮世絵の元服前の若侍のイメージ
子供  :やんちゃな小学生、稚児のイメージ

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「河合、俺は女を集めるから、男はお前に任せた」
「バカ野郎、何で俺が男集めをするんだ?」
「当たり前だろう。どうしても加えてくれと言うから仲間に入れたんだぞ。それくらい当然だ」

酔っぱらったとはいえ、「春画」という新境地に覚醒した鈴木画伯に勢いがあり、言われるがままにメモしたが、こんなモデルは簡単に集められるものではなかった。
「あ、岡田ですけど」
「いや、こちらから電話しようとしていたんですよ」

電話の相手は日本画家、河合惣之助のマネージャー、吉光(よしみつ)武(たけし)だった。
「うちの先生が主な出版社に電話でモデルを探させているんですよ」
「えっ、昨日の今日なのに、もうそんなとこまでやっているんですか?」

「はい、『鈴木には負けるな!』、これがうちの先生の口癖ですから、ははは」
「相変わらずですね。恐れ入ります」
「そちらはどうですか?」

「いや、参りましたよ。朝から馴染みのクラブのママやマネージャーを叩き起こして、ホステスの中から選ぶように言い付け、なんとか、奥方と嫁のモデルは調達の目処がついたんですが、家政婦、これが見つかりません」
「ははは、お互いに〝巨匠〟の気ままに振り回され、大変ですな」
「まあ、仕方ありませんね。それでは」
「はい、お互いに頑張りましょう」

電話が切れると、岡田はまたも「ふぅー」とため息をついてしまった。
(頭が痛てえ……こんな女、いたって裸になる訳がない。別のクラブを覗いてみるか……)
岡田は机の鍵を掛けると、事務所を出て行った。

家政婦、浅井美恵子

「岡田、ちょっと相談だが」
モデルが見つからないまま一週間が過ぎた頃、アトリエから出てきた鈴木画伯が事務所に顔を出し、マネージャーの岡田のところにやって来た。
「浅井さんを例のモデルにしたいのだが、どうだろう?」

「浅井さん」とは家政婦の浅井(あさい)美恵子(みえこ)のこと。バツ一の子持ち、年齢は40歳前、細面の切れ長の目をしているが、下膨れした顔のぽっちゃり体形、探しているモデルのイメージにそっくりだが、身持ちが固く、とてもヌードになれとは頼めない女性だった。

何てバカなことを言い出すんだろうと思ったが、モデル選びは画家の特権。それに注文をつけ、「首だ!出て行け!」と言われた者を何人見てきたことか。岡田は叱られることを覚悟の上で「いや、ダメだと思いますけど」と言ったのだが、鈴木画伯の反応は全く予想外のものだった。

「ははは、やっぱりそう思うか、だから俺たちはダメなんだ。なあ、岡田。俺たちの頭は既成の価値観しかないんだよ。初めからダメだと思ったら、それで終わり。これじゃあ、ダメだ。だから、俺は敢えて浅井さんにチャレンジするんだ」
「はあ、でも、それは」

岡田は「絶対に無理です」と言う言葉を飲み込んだ。今度こそ、そんなことを言ったら、自分が「首だ!出て行け!」と言われてしまう。
元気モリモリの鈴木画伯は「昼から始めたいから、午後1時に浅井さんをアトリエに連れて来てくれ。じゃあ、頼んだぞ」と言うと、鼻歌を歌いながらアトリエに戻って行った。

(続く)

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