私の「青春の蹉跌」-第1話
あなたは女性に職場まで押し掛けられた経験がありますか？例え、妻以外の女性と付き合った経験があっても、「ははは、そんなへまはしませんよ」と笑うかも知れません。
私もそうでした。しかし、持ち出された事が１０年以上も前のこととなると、「えっ、まさか……」と言葉に詰まってしまいます。
「青春の蹉跌」なんて……自分の身に起こるとは考えたこともありませんでした。
作家名：バロン椿
文字数：約3100文字（第1話）
管理番号：k079
プロローグ
私、小池（こいけ）健介（けんすけ）は絶好調でした。
前年暮れは営業マンとして、抜群の成績を上げ、ボーナスは同期トップの額、部長からは「小池君、君にはもっと高い立場で仕事をして貰おうと思っている」と、４月の定期異動での栄転を匂わされました。
これを聞いていた課長からも何かにつけて「小池、頼むぞ」と言われ、私は「俺が営業部を引っ張っているんだ！」って気持ちでした。
その甲斐もあり、３月初めには営業目標はクリアし、後は、前回と同じく、同期トップの成績を残そうと、お取引先を駆けずり回る毎日でした。
しかし、年度末の３月３１日まで僅かという時、あの人が職場に押し掛け、全てが変わってしまったのです。
読者の皆様、いや、女性に職場まで押し掛けてこられたご経験のある諸兄と言った方がいいでしょう。
そんなあなた、「そんなことには全く身に覚えがない！」と言い切れますか？
私の答は「ＮＯ」です。
芥川賞作家の石川達三さんの小説に「青春の蹉跌」がありますが、これからお話することは、言わば小池健介版「青春の蹉跌」です。
お恥ずかしい話ですが、コーヒーでも飲みながら、お読み下さい。
まさか・・
年度末の３月、外出から戻ると、５０歳代の女性が応接で１時間も待っていると受付から電話がありました。
私は「誰だよ？まだ客先回りが残っているのに」と不愉快な気持ちを隠さずに答えると、受付の女の子が「小池さん、そんなことを言ってる場合じゃないのよ。なんか妙に色っぽい人で、いきなり『部長はん』なんて、いやな女。どうなっても知らないわよ」と緊急事態であることを伝えてきました。
その時、私は嫌な予感がしました。
あれは昔のことだ、今更言われても、いや、それよりもあり得ない、等々、自問自答しながら応接のドアを開けると、やはりあの女性、中学の同級生、相楽（さがら）明恵（あきえ）の母親、史恵（ふみえ）さんでした。
「こ、小池君、こちらは」
状況が分からず、戸惑いながらも紹介しようとする部長を「部長はん、そないなことは要りまへん」と遮り、「お久し振り、健ちゃん」と抱きつかんばかりに私の手を握ってきました。
私は「さ、相楽さん」とうろたえ、言葉に詰まりましたが、「そないな苗字、とうん昔に捨てたん。今は元ん松本（まつもと）どす」と、離婚したことも隠さず、堂々たるものです。
今では年齢こそ５０歳代半ばとなり肌の艶は衰えてはいるが、昔と変わらぬ色白、そしてまったりとした京都弁、まさしく史恵さんでした。
そして、気が利くと言うか、媚を売ると言うか、部長にも「部長はん、健ちゃん、うちん昔からの知り合いなんよ。こないな立派な会社に勤めて、嬉しゅうて、嬉しゅうて」と笑顔を振り向ける。
「あ、いや、彼は優秀で」と、そんな史恵さんに部長も持て余し、「それじゃあ、小池君の個人的な事なので、私はこれで」と、明らかに迷惑だという顔で応接を出て行ってしまいました。
しかし、これで遠慮が無くなって史恵さんはバッグから写真を取り出すと、「１４歳」と言って、それを私に差し出しました。中学校の制服を着た男の子、「よう似とる」と史恵さんは言いますが、それは主観の問題だから、何とも言えません。
でも、年格好から、あの時の子供だとピンときました。
私は手が震えてきました。
「健史（たけふみ）って言うんよ」
「えっ……」
「名前よ、こん子の名前よ。 あんさんの『健』とうちの『史』を付けて、『健史』、『たけふみ』と読ますんよ」
史恵さんはそう言って私の手から写真を取り戻すと、それをハンカチに包んで、「肌身離さんといて」と私に押し付けました。
昨年、子供が生まれたばかりの私は顔が青ざめていくのが自分でも分かりました。
そして、あの１５年前の記憶が走馬灯のように蘇ってきました。
１７歳の夏
私は父親の仕事の関係で、中学、高校の６年間、京都に住んでいました。
その時の中学の同級生が史恵さんの娘、相楽明恵で、私の母親ともＰＴＡが縁で
「京都は初めてなので」
「全然心配要りまへん。何かあったら、うちに電話しておくれやす。こうして、子供らが仲良うさせて頂いているさかい、うちらも仲良うしまひょ」
とお付き合いするようになり、私の母は度々、史恵さんに電話を架けては、京都のしきたり等を教えてもらい、史恵さんも、時々、我が家に遊びに来ては「ええなあ、男の子は」と言って、私を可愛いがってくれました。
私にとっても近くに親戚がいないため、史恵さんを「おばちゃん」と言って甘えていました。
史恵さんのご主人は鳶の親方で、本当は男の子が欲しかったらしく、「健介はうちの息子だ」なんて言って、これまた大変可愛いがってくれました。
しかし、明恵は「なんで健介が可愛いがられるんよ」と冷ややかでした。
それでもヤンキーに絡まれたりした時、「お前ら、明恵に手を出したら、俺が許さないぞ！」と助ける私を、「これ、うちのボディガードや」と言って、彼女なりに私が彼女の家に出入りすることを認めていました。
高校は明恵とは別になりましたが、史恵さんにとっては、そんなことは関係ありませんでした。
これまでと同じく、やれ餅つきだ、豆まきだと言っては「うちに遊びにいらっしゃい」と声を掛けてくれました。
そんな母を見て、明恵は「ほんまに健介が好きなんやな」と呆れていましたが、史恵さんは「こないなええ子はおらん」と私をハグしたりして、私の方が恥ずかしくなるくらいでした。
そして、迎えたのが高校２年の夏休みの花火大会です。
相楽宅では、毎年、職人を集め、二階の大広間で暑気払いを兼ねて花火を見るのが恒例行事だったようですが、これまでは酒の席はまずいということだったようですが、「もう高校２年やし、お酒飲む訳でもないから」と呼んでくれたようです。
その日は非常に暑い土曜日でした。
午後６時過ぎ、玄関のベルを押すと、「あら、健ちゃん、待っとったんよ」と、母親の史恵さんが出迎えてくれました。
「花火は７時からだけど、もうみんな来とるんよ」と二階から聞こえてくる賑やかな音に笑っていましたが、「花火よりも酒だ」と、待ちきれない人たちが飲み始めていたようです。
「これ、お母さんから」と言付け物を手渡すと、一応、「明恵ちゃんは？」と聞きましたが、「あん子は『うるさいんは嫌や』って部屋に籠っとる」と、二階の彼女の部屋の方を指差しました。
日々、人の出入りが多いこの家では、やはりそうなのかも知れません。
母親の史恵さんは娘の気持ちを十分に理解していたのでしょう。
「明恵んことはええから、さあ、上がって」と、私を促し、皆の待つ二階の大広間に連れて行きました。
すると、「何をしとったんや、女将はんは」と酔って顔を赤く染めた人が待ち構えていて、私を見ると「誰や？」と絡んできました。
でも、そんなことに慣れているのでしょう。史恵さんは「徳さん、構わんといて」と私を用意した席に座らせようとしましたが、その徳さんは「名前くらい教えてくれたってええやないか」と離れません。
仕方なく、史恵さんが「明恵の友だちの健ちゃんや」と言うと、隣で聞いていた別の職人さんが、「何？ 明恵ん友だちか。ほな、仲間や。さあ、飲め！」とグラスを差し出してきました。
鳶の中には２０歳前の者もいましたが、やかましいことは言わずにビールだ、日本酒だと飲ませていたようです。
しかし、「あかんよ、こん子に飲ませたら」と史恵さんはそのグラスを取り上げようとしました。
でも、職人さんたちは酔っぱらっているから言うことを聞きません。
「何を言うとるんや、女将はん」と、そのグラスにビールを並々と注ぐと、「固めの盃や」と飲まされてしまいました。
（続く）
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