詩織の冒険・メモリー-第2話
詩織は、後に結婚することになる新田卓也と結ばれた夜のことを思い出していた。それは、彼のマンションであった。微かにスムーズ・ジャズが流れていて……。
作家名:キラ琥珀
文字数:約3310文字(第2話)
管理番号:k092
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新田詩織の旧姓は伊集院である。
生まれは広島。
高校まで広島で過ごしていた。
大学は茨木県の水戸市にある大正緑林大学。
文字通り、大正時代に設立した大学であり、理系では偏差値はハイレベルである。
詩織は初めて下宿生活をしたのであった。
自由な生活の第一歩である。
大学を卒業してISHという若くて活気のある会社に就職した。
結婚するまで、そこでプログラマーとして働いていた。
グラマーがプログラマーをしていたわけである。
同期生の多くは一部上場の一流企業へ就職した。
大企業なら、先ず潰れる心配はないし、世間体もいい。
しかし、会社の歯車になるだけである。
(そんな人生はつまらない)
ということで、詩織はIT関係のベンチャーの会社に就職したのである。
創業してまだ15年ほどの会社であったが、時代の波に乗って急成長していた。
エネルギーに溢れる会社であった。
そのエネルギーは、入社式の当日から分かった。
入社式は、新宿の外資系ホテルで行われた。
大広間に新入社員たちが集合した。
カジュアルな服装の社長が登場した。
「やあ、みなさん、よろしくね」
カジュアルな挨拶であった。
と、ここまでは、時代の波に乗った流行の会社らしいワンパターンの挨拶であった。
その後が違った。
背後の壁に、ゲーム画面が大きく映し出されたのである。
誰でも知っている有名なゲームである。
新入社員たちは、おお、とどよめいた。
皆、ゲームが大好きなのである。
そして――、どよめきは消えた。
沈黙が会場を支配した。
沈黙。
それも、緊張のある沈黙である。
新入社員たちは、画面を見つめた。
何かが違う。
色がきれいすぎる。
動きがなめらかすぎる。
キャラクターのアクションがすごい。
沈黙の緊張がピークに達した。
社長が話を続けた。
「さすがだ、分かったね。これ、新版のプロトタイプ。描画エンジンが我が社の……」
新版のゲームの至るところに会社のテクノロジーが使われていることを説明した。
「これは半年後に出る。その次の版は、君たちに任せるからね」
新入社員たちは、歓声を上げた。
ところで――。
さすがに歓声は出なかったが、新入社員たちの間でもうひとつの興奮が静かに進行していた。
詩織の乳房である。
(すごい巨乳が同期の仲間にいるんだ)
新田卓也も興奮して、オ珍鎮がビンビンになっていたのだ。
出来たらエッチしたい……。
————
こうしてISHでの生活が始まった。
ISHの本部は新宿にある。
毎日、9時に新宿の本部へ出社して……。
広いフロアの中でコンピュータをにらんで……。
5時のベルが鳴ったら私服に着がえて……。
巨乳にあこがれる男性社員が夕食をおごってくれて……。
というようなステレオタイプの生活ではない。
ISHの本部は新宿だが、開発室は都内各所にある。
仕事内容によって、それぞれの開発室に集合して仕事をするのである。
いちおう、出社時間は9時になっている……。
そのまま、窓から空を眺める……。
紙にメモを取る……。
アイデアを固めているのだ。
固まったら、コンピュータでテストをしてみる……。
周囲の同僚と相談してみる……。
またコンピュータでテストをしてみる……。
これの繰り返しである。
うまくいって一日の区切りがついたら帰る……。
うまくいかなければ、うまくいくまで、続ける……。
眠いときはソファで寝る……。
外部から見れば、ブラックであろう。
だが、社員のだれもがブラックとは思っていなかった。
9時・5時のサラリーマン生活でクリエイティブなことは出来ない。
プログラム開発は高度にクリエイティブな作業なのである。
この生活が当たり前なのだ。
それに見合う高給を会社は出していた。
詩織は充実した日々を送っていた。
————
そして運命の日――。
その時、詩織が働いていたのは、晴海のビルにある第三開発室であった。
夜の11時。
伊集院詩織は新田卓也と二人だけで会社に残っていた。
当時、彼女たちはデータベースのプログラムの開発をしていた。
コードネーム・ミシシッピというものである。
このプログラムのある部分の処理に2秒もかかっていた。
遅すぎる。
せめて、コンマ1秒にしたい。
それには、部分的な改良では無理だ。
別なアルゴリズムが必要だ。
これを、伊集院詩織と新田卓也は朝からずっと考えていたのである。
そのまま夜の11時になってしまったのだ。
夜の11時まで考えて……答えは出なかった。
煮詰まったときには気分転換が必要である。
あるいは今日は終わりにするか。
どちらにするか?
二人は自販機からコーヒーを買った。
コーヒーを飲みながら考えよう。
新田卓也が、ふと窓を見た。
窓ガラスに、雨が吹き付けている。
「おや、雨だ」
「あら、全然、気が付かなかったわ」
「伊集院さん、家は大田区だったよな?」
「ええ。独り暮らし」
「これじゃ帰り道は濡れる」
「まあ、しょうがないわ」
「俺のマンションに来ないか? 場所を変えれば新しいアイデアが出るかもしれない」
「いいの?」
「うん。僕も独り暮らしさ」
この時点で、新田卓也にはナンパの意志はなかった。
伊集院詩織を女として意識していたことは、もちろんである。
なにしろ、並みはずれた巨乳なのである。
出来たらエッチしたい……。
入社当時から、こう思っていたのだ。
だが彼は、SEXも好きだが、SEも好きであった。
SE、つまりシステムエンジニアリングである。
この時点では、SEが優先していた。
仕事を終わりにすれば、彼女は濡れて帰ることになる。
ならば、気分転換して仕事を続けよう。
大きな気分転換。
自分の部屋で好きな音楽を聴きながらリフレッシュする。
こう考えていたのである。
新田卓也のマンションは東駒形にあった。
会社の地下駐車場から車に乗り、清澄通りを走り、マンションの駐車場に入れば濡れないのだ。
新田卓也の車はカローラであった。
詩織は、心の中で苦笑した。
(意外に堅実ね)
ISHは高給を出している。
カローラより上のクラスの車にも十分手が届くのだ。
ポルシェに乗っている者もいる。
そういう中にあってカローラ。
堅実なのである。
雨の清澄通りを走っているとき、新田卓也は自分のことを話した。
実家は長野県……。
江戸時代から続く旧家である……。
家は長男が継いでいる……。
自分は3男……。
子供のころから機械が大好き……。
こういうことを話したのである。
詩織は、彼の声が、少し上ずっていることが分かった。
(うふふ……そうよねぇ……)
新田卓也の部屋は2LDKであった。
「さあどうぞ」
ドアを開けた。
部屋が2つある。
1つの部屋はベッドがある生活空間であった。
もう1つの部屋には、机と椅子があり、パソコンが置いてあった。
壁の本棚にはファイルが並んでいて、棚の端にステレオシステムがあった。
本棚の上には富士山の写真が架けてあった。
部屋の真ん中にはソファとテーブルがあった。
「えっと、ソファに座っていてよ。コーヒーを淹れるから」
「おかまいなく」
新田卓也がキッチンにいる間、詩織は本棚へ近寄った。
ファイルのラベルを読むと、どれもテクニカルマニュアルであった。
(お主、やるな)
パソコンを見ているとき、新田卓也がコーヒーを持って部屋へ入って来た。
「そのパソコンは自作」
「そうだと思ったわ」
「さぁ、コーヒーをどうぞ」
「ありがとう」
「ケーキとか、そういうのがないんだ」
「いいのよ」
詩織がソファに座り、新田卓也は詩織の隣に座った。
「それで……」
新田卓也は言いよどんだ。
自作したパソコンの自慢をしようと思ったのだが、なぜかこのシチュエーションにそぐわない。
本棚のテクニカルマニュアルの話題はどうだろう。
詩織が興味を引くことは間違いない。
だか、やはりよしておこう。
目を上げると富士山の写真がある。
これならいいだろう。
「僕、富士山が好きなんだ」
「田舎は長野なんですって?」
「うん。松本市の近くの浅間温泉で旅館をやっている。毎日北アルプスを見て育ったよ」
「それで山が好きなんだ?」
「うん。田舎ではいつでも山が見れる。でも、皮肉なことに富士山は見えない」
「北アルプスより富士山の方が好き?」
「うん。すごく大きくて、それなのに滑らかな隆起が……」
新田卓也は、いつしか詩織の乳房を見ていた。
滑らかな隆起……。
しかも、富士山のようにそびえている……。
新田卓也は手を伸ばした。
(続く)
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